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(story.15)始まり

テルとジョージは30人近い集団に囲まれ、ヴラジに連行された。
酒場の店主たちは上手く隠れて場をしのいだようだった。

道中、ジョージは今後の展開を予想し悲壮な顔をしたが、テルは平然としていた。

「テルは平気なの?」

ジョージはたまらず尋ねた。
テルは頭を掻き「わからない」と困った顔をした。

一行は街へと入り、チェン司令の待つ酒場の前へと向かった。
テルとジョージを囲む兵士たちは皆、仏頂面をしていたが、自分たちが「目標」を捕らえたとチェンに報告するの待ち望むかのように浮き足立っているのがジョージにはわかった。

大通りを通っていると、地下へと追いやられる住人たちとすれ違った。その中にはカーネルたち地下の民も混ざっており、これが最後の一団のようだった。
テルは集団とのすれ違いざまにカーネルをちらりと見たが、カーネルはまるで、そこに誰も存在しないかのようにテルを無視した。

「ねぇヤバいよ……テルにいちゃんが」

列の後ろの方で、ゴランとイリーナがひそひそと話し合った。

「イリーナ、助けないと」

「どうやって……
?」

ゴランはイリーナの腕に抱かれているラビに目をやった。すると、何か閃いたのか、イリーナの服を掴む。
「何する気?」と近くの兵士の目を警戒するイリーナをよそに、ゴランはこっそりとイリーナとラビを連れて、近くの建物と建物の間の路地へと忍び込んだ。

「カーネルさんたちが地下に入るまで、ここでジッとしてる」

「よくわからない」と言いたげなイリーナを、ゴランが一旦黙らせた。


テルとジョージは酒場の前に着くと、背後から兵士に突き飛ばされた。二人の前には青白いホログラムが立っていた。

《あなたが『テル』?》

チェンは足元のジョージに微笑んだ。
すると、チェンの背後の広場に一機のヘリが着陸し、中から鎖や手錠を携えた
兵士が降りてきた。
ジョージはぶんぶん首を横に振り、テルを指差した。

《そう、あなたが……ねぇ》

チェンはテルの方に向き直り、舌舐めずりした。テルの顔が引きつる。

「お前ら何の用だ。おれに用があるんだろ?他のやつは放せよ」

「口を謹め!このお方は、大連帝国ジーリン方面軍司令 チェン・ジエ様であらせられるぞ!!」

部隊長らしき兵士が歩み出て、テルの頬を引っ叩いた。
「あらあら」と口を抑えるチェンに、兵士は頭を下げる。
テルは赤くなった頬を撫でながら兵士を睨んだ。

「一言いうだけでいいだろ、言葉を選べって。わざわざ上官の前で媚びなくてもいいからさ」

「貴様……!!」

《まぁまぁ落ち着きなさい。大切な『アトミック・ソルジャー』を傷モノにしちゃあ、ワタシが怒られちゃうわ》

チェンが割って入った。
部隊長は赤面し引き下がった。

「アトミック・ソルジャー?」

テルはチェンに目をやった。
チェンは少し驚いたようだった。

《ふふふ……あなた自分のことなのに何にも知らないのね。今まで自分の身に妙なことはなかった?目が光るだとか、放射能を浴びても何ともないとか》

テルは目を細めた。

「……何か知ってるのか?」


その時、ピイィィという甲高い金属音のような鳴き声が響き渡った。鳴き声は街中に反響し、空へと届いた。
テルはその鳴き声に聞き覚えがあった。

「今度はなに?」

ジョージが顔を上げた。
警戒する兵士たちに、チェンが音源を探るよう
命令する。
兵士たちは我先に街の北部へ駆け出した。


「なんてことするのゴラン!かわいそうじゃない!!」

イリーナはゴランに手を引かれ、路地を飛び出した。路地には腹部を軽く切られ、鳴きわめくラビがいた。

「なんで置いてくの!?」

「連れて行けないだろ『親
』が来るんだから!もう街の人たちはみんな地下に入ったから、後は暴れてもらうだけだよ!」

ゴランは背後を気にするイリーナを急かした。二人は全速力で地下の入り口へと駆けていった。

そのすぐ後に兵士たちがやってきて、路地で鳴いているミストラルの子どもを見つけた。
部隊長は青白い顔をし、すぐさま司令に伝えるよう部下に命令すると、ラビを黙らせようと拳銃を取り出した。

「悪く思うな」

照準を合わせ、引き金に指を添える。
すると、
部隊長の周りを巨大な影が覆った。


街の北部で建物が崩れる音がした。
チェンは今しがた空から飛翔してきた巨大なクリーチャーを見て呟いた。

ミストラルか……》

チェンが陣形を組む
よう指示すると、兵士たちは横一列に並んだ。
すると、大通りから一人の兵士が逃げ帰ってきた。背後からは巨大なミストラルが追随している。ミストラルの三本指の脚で鷲掴みにされるのを何とか回避しながら、部隊長は助けを求めた


チェンが手を挙げると、周りの兵士たちが一斉に銃を構えた。直後の「撃て」の合図で全員が発砲する。

ミストラルは急浮上し、被弾を免れた。
逃げてきた部隊長が兵士たちの間に飛び込む。

《第三陣形!散れ!!》

チェンが指示を出すと、兵士たちは四方八方に散った。その直後、遥か頭上にいたミストラルが急降下し、一団のいた場所へ勢いよく着地した。

テルは数人の兵士に引っ張られ、離れた地点まで走っていた。

「あれ、ジョージは……」

気づけばジョージの姿が消えていた。


「ハァ……ハァ……ッ」

ジョージはミストラルに見つからないよう建物に隠れながら大通りを通り、角を曲がると全力疾走した。
自分の保身の為にテルを売ってしまったことと、見捨ててきたことへの罪悪感があったが、今はとにかく生き残る為、なりふり構わず地下の入り口へと走った。


酒場周辺では兵士たちが陣形を維持しつつ、ミストラルの頭部めがけて銃を撃つが、巨体らしからぬすばしっこさで中々当たらない。
代わりに翼や胴体部分には当たるが、キャタピラートラックの砲撃を喰らってもびくともしなかった体である。硬い鱗に覆われ、致命傷にはならない。
仲間たちが一人また一人と鷲掴みにされ、上空から地表に叩き落される中、兵士たちはチェンの指示の下なんとか奮闘した。

《再び第三陣形!着地する瞬間が狙い目です!四方から一気に畳み掛けなサッ……》

突如、チェンを映し出していた映写機が小さく爆発した。
兵士たちは空を駆ける怪物を目で追いながら陣形を組むことに夢中で、チェンがいなくなったことには気づか
なかった。


「戦闘中は流れ弾に注意しないとな、司令」

少し離れた場所で、カーネルは拳銃をコッキングしながら呟いた。すぐさま屋根を飛び降り、テルの救出に向かう。


ミストラルの着地直後の硬直を狙い陣形を組んだ兵士たちだったが、ミストラルは中々地表に
降りて来なかった。各位の予備弾倉も底をつき始めた為、兵士たちは乱射をやめ、建物に隠れて辛抱強く敵が降りてくるのを待った。

「オイお前!さ
がれ!!」

部隊長が叫んだ。とある兵士が陣形から外れ、大通りのど真ん中に飛び出していた。
その兵士の手には、先ほどテルから接収した光学銃が握られていた。

兵士
は引き金に指をかけた。バレルが帯電を始め、やがて赤い光が銃口に収束する

 

「帝国を……舐めるな!」

 

一本の赤い光がミストラルの頭部にめがけて放たれる。光は頭部を外れて右翼に命中した。
兵士は舌打ちしたが、突然ミストラルの動きが鈍くなり、やがてふらふらと街の西部に墜ちた。
隠れていた兵士たちがわらわらと出て来て、敵を確認する。光はミストラルの翼を貫通し、胴体をも貫いていた。

 

部隊長が駆け寄ってきて兵士の肩を叩いた。

「やったなシルバ通信兵!お手柄だぞ!」

シルバと呼ばれた通信士は少し照れくさそうに、
「当然のことをしたまでです」と部隊長に敬礼した。


離れていた兵士たちは場の安全を確認し、テルを引っ張って広場へと戻ってきた。
部隊長に敬礼すると「002」と書かれたヘリまでテルを連行する。

テルは兵士たちと共に安全な場所に隠れている最中、ジョージに言われた言葉の答えを考えていた。

〝テルは平気なの?〟

不思議なことに、まさに得体の知れない集団に連れ去られようとしている今も、先ほどミストラルが暴れている最中も、テルは心の底から焦りを感じなかった。

酒場の前では、ストロガノフが繋がれたままの状態でいた。最早自分の未来に何の希望も持てないのか、放心状態でうつむいている。
テルを視界の隅に捉えると、少し顔を上げ、フッと嘲笑うように唇を尖らせた。

〝忘れないことだ。君のお父さんが助けに来なければ形成は変わらなかったということを。親の力で勝てたということを〟

そんなストロガノフの言葉が、テルの脳裏に浮かんだ。

(違う……違うんじゃないのか?結局おれは今、親父の力を頼ってるんじゃないのか?どうせ親父が助けてくれると、アテにしてるんじゃないのか?)

テルは唇を噛み締めた。


「誰だ!?」

突然、部隊長が屋根の上に向かって叫んだ。周囲の兵たちがそちらに銃を向ける。


すると、カーネルがぬっと姿を現した。一歩遅れて、周囲の建物からも大勢の民兵が続々と姿を現した。

「テルを返してもらおうか」

カーネルは拳銃を取り出し、部隊長に銃を向けた

部隊長は苦笑いをした。

「おいおい、
今我々と戦うのか?戦力的にはそちらの方が不利じゃないのか?」

事実、街の住人全員がテルの救出に来たわけではない上、一人一人の練度
も含め、戦力的には帝国側が勝っていた。

すると、ヤギ髭の老人が人ごみを割って歩み出た。

「ワシらはその少年に救われた。次はワシらの番だ」

 

つられてテルの同級生たちも口々に声を上げた。

「今回はちゃんとした武器を持ってる。夜の時みたいにはならないぞ!」

「それにテルなんか連れていったって苦労するだけだぞ?言うこと聞かなくて」

他にも酒場の店主とその妻、トラックの乗組員たちの姿もあった。
部隊長は大きく舌打ちし、「構えろ」と部下全員に命じた。それに対抗し、カーネルも同じ指示を出す。
一触即発の空気の中、テルは覚悟を決めた。

「親父!やめてくれ!」

テルの声が街全体に反響した。その場にいた全員の視線
がテルに集中する

「皆もやめろ!捕まったのはおれのミスだ。この街にこの連中を呼び寄せた原因もおれだ。自分の過失は自分でどうにかする!」

テルは叫ぶと深く息を吐き、兵士に手を差し出した。

「ほら、手錠かけろよ。気が変わる前に」

兵士はハッとし、すぐさまバッグから手錠を取り出した。
屋根の上ではヤギ髭の老人や同級生たちがカーネルに指示を仰いでいた。

「……このまま行かせてもよいのか?」

老人が尋ねた。
カーネルは目を閉じ考えていたがやがて目を開いた。その顔はどこか喜ばしげだった。

「いいだろう。ここで引き下がれば、今ここにいる人間には手を出さないか?」

カーネルが部隊長に尋ねた。
部隊長はうなずいた。

「無論。帝国は銃を置く者に鞭打つような真似はしない」

カーネルはその言葉に納得し踵を返した。
民兵たちは動揺しながらも銃を置き、ひとまずそれに続いた。

テルがヘリに飛び乗ると、部隊長が乗組員に叫んだ。

「先に行って夕食の準備でもしていてくれ!それと、不測の事態で大部分の兵が使えなくなった。駐留は困難、予定を変更して一旦全員基地に戻すと司令に伝えてくれ!」

「了解!」

乗組員が扉を閉めるとヘリはエンジンを起動し、上昇を始めた。やがて眼下の部隊長たちが縮んでいく。

テルは機内の窓際に座らされた。外を見るとカーネルの姿があった。こちらに背を向けていたが、目だけはしっかりとテルを捉えていた。

「少しは自由に近づいたか?テル」

カーネルは呟き、豆粒大の大きさになるまでヘリを見つめていた。

やがてヘリは街の周囲に広がる廃ビルの
高さを超え、雲の真下まで浮上した。するとヴォストーク区の全貌が一望できた。街とその周囲の廃墟郡、広大な荒野、北方に見える丘の上の岩山。
しかしテルの目にはヘリの向かう先にある大海が映っていた。

(これからだ……おれはこの世界で
自由になる)

テルは壁にもたれかかった。その
背中の『星のマーク』と、壁に掲げられていた『月のマーク』の旗が重なり合う。
ヘリは水平線へと向かい、ゆっくりと消えて
いった。



[数時間後 ヴラジ 地下牢]

カーネルは地上と地下を繋ぐ階段を下りていた。日差しが降り注ぐ地上とは一転し、地下は相変わらず冷え切っていた。両脇の壁に備え付けられた松明の灯火さえも、凍え死んでしまいそうだった。

カーネルは階段を下ると、目の前の両扉を押し開けた。
地下牢は相変わらずジメジメとしていたが、昨日までと違いひと
気は一切なくなっていた。
湿った床をコツコツと鳴らしながら歩くと、一番奥の牢の扉だけが閉められているのに目が留まる。
カーネルはその牢の前で立ち止まり、錠のかかっていない扉を開けた。

「ジョージ、出発だ」

牢の中でジョージがうずくまっていた。顔を腕と膝の中に沈めたまま小さくうなずく。そのまま、蚊の鳴くような声で呟いた。

「いいんですか?俺を連れて行って。息子さんを見捨てたんですよ?怒るなら怒って下さい」

カーネルはジョージに歩み寄った。

「海外に出たのは今回が初めてだったんだろう?上手くいかなくて当然。そんなに気負うことじゃない」

その言葉にジョージは歯ぎしりした。

「そうじゃないんです……今回のことでよくわかったんですよ。海外に出ても俺は俺。別の場所に行けばイチからやり直せるって思ってたけど、そんなことはなかった。これじゃなんの為に海外に出たんだか……自分を追い込んだだけですよ」

最後の方は小声になっていた。
するとカーネルは歩を止め、無言のままジョージを見下ろした。

「なんかもう……疲れました。海外に出て、街に来るなりいきなり働かされて、戦うことになって、死にかけて……今後もこんなことが続くと思うとやっていけませんよ」

「帰りたいのか?」

カーネルの問いにジョージは目を見開いた。顔をうずめたまま、首を小刻みに横に振る。

「とんでもない……帰れませんよあんな国!そりゃここと比べたらずっと快適ですけど、その快適さが人をダメにするんです」

「そうか、なら仕方ないな」

カーネルは踵を返し、元来た道へと引き返し始めた。
ジョージは思わず顔を上げる。

「えっ……」

「これからの旅の終着点はお前の母国だ。一緒に旅する気でいたが、帰れないのなら仕方ない。ここに置いていくしかないな」

ジョージはとっさに立ち上がった。しかし、帰らないと言った手前ついていくこともできず、再びしゃがみこんだ。なんとか向こうから呼んでもらおうと、カーネルの方をちらりと見る。
すると、カーネルが背を向けたまま言った。

「いつまでも引っ張り上げて貰えると思うな。俺は自力で立とうとする者には手を貸すが、他力本願なやつの相手はせん」

そう言ってカーネルはジョージから離れていった。
「くそっ……」とジョージは呻き、こっそりと立ち上がった。

すると、誰かが開けっ放しだった両扉をくぐり、地下牢にやってきた。

「待ちなさい。お主たち、まさか歩いて旅をする気じゃなかろうな?」

ヤギ髭の老人は、杖をコツコツとつきながらカーネルに歩み寄った。
カーネルは「今の所はそうするしかない」と答えた。
すると、老人は深くため息をついた。

「お主たちはワシらの為に戦ってくれた。だがワシらは、まだお主たちに何も返せていない。街を去る前に何か恩返しをさせてほしい」

老人はそう言うなり、ニコッとジョージに目をやった。



「お主たちに『家』をやろう」


カーネルとジョージは、ヤギ髭の老人に連れられ街の北端へとやってきた。
他にも、ゴランやイリーナ、数人の革新派の戦士たち、その背中におぶられるアンナなど、旅の同行を希望する者たちがついてきた。

老人は階段を下り、城壁の外へと続く大扉があるトンネルに入った。壁の両脇には巨大なシャッターが下ろされている。


「何だろうな?何だろうな??」

 

ゴランが期待する。
老人は右側のシャッターにある小さなドアを開け、全員を中へと招いた。


その部屋は暗く、周りがよく見えなかった。
老人が暗闇の中壁のスイッチを探り当て、天井の蛍光灯を灯す
その瞬間、全員が思わず息を飲んだ。

そこは小さな格納庫だった。
埃っぽく、そこら中に工具やゴミが散乱している。床に積もった埃の厚さから、長年人が足を踏み入れていないことが伺えた。

ジョージたちの目を引いたのは、格納庫の奥に眠る一台の車両だった。
大型トレーラーにキャタピラを履かせたような威圧感のある外観をしている。
パッと見は以前乗ったキャタピラートラックの同型だったが、こちらの車両はボディカラーが茶色であることと、荷台にコンテナではなくトラックキャンパーが積まれている点が違っていた。
まさに、「動く家」と言っても差し支えない代物だった。

「MB-101『LAND X(ランドクロス)』。ワシらが物資の運搬に使っとる
トラックの同型だが、こいつは使い道がなく長年放置されとった。じゃが、寝泊りするにはもってこいの車両だ。使うがいい」

ヤギ髭の老人の言葉には耳も貸さず、ゴランは目を輝かせてトラックへ駆け寄った。埃まみれのドアノブを掴み、キャンパーの扉を開ける。

「ウオーッスゲェー!ベッド、ソファー、台所、なんでもある!」

興奮状態のゴランに続き、他の者たちもトラックを取り囲む。
カーネルは老人と握手した。

「ありがとうございますご老人。助かりました」

「大切に使ってくれよ。ワシらはかつて、これとオモテのトラックに乗ってこの地まで旅してきたんだ。思い入れがある。そうだ……エンジンをかけてみろ。何年も動かしとらんからな、正常に作動するか……」

老人の言葉を遮るように、重低なエキゾーストノートが格納庫に響き渡った。トラックの操縦室後部から煙突のように突き出したマフラーが、黒い排気ガスを噴出している。
埃かぶったフロントガラスの向こうに、うっすらとゴランの姿が見えた。

 

すると、カーネルの横にいる男におぶられていたアンナが激しく咳き込んだ。
カーネルは老人に尋ねた。

「ご老人、この街の付近に、どこか彼女を助けてくれそうな所、または我々の力になってくれそうな所を
ご存知ありませんか?」

老人は唸った。

「うーむ……悪いが、あまり力にはなれそうにない。何十年もこの街に閉じ込められとったからな。外の世界も様変わりしておろう。ただ……」

老人は何か思い出したかのように一間置いた。ヤギ髭をいじりながら、古い記憶を手繰り寄せる。

「ワシのように半世紀前に西から渡ってきた移民は、その全員がヴラジに住み着いたわけではない。ここから南西へ行ったところにスラブヤンカという町がある。かつて移民たちはそこで北上するか南下するかで意見が割れ、二手に分かれた。北へ向かった者はワシのようにヴラジに住み着いたが、南下した連中がどうなったかはわからん。だが、まだ生きているとすれば力になってくれるはずだ」

貰い受けたトラック ランドクロスのマフラーも落ち着き、排気ガスの色も暴力的な黒から薄い灰色に変わっていた。
カーネルの隣にいた男が、アンナを寝かせようとランドクロスに向かう。他の者たちも一通り使えそうな物資を積め終わると、格納庫のシャッターを開き乗車した。

「もう行ってしまうのか?」

老人は少し寂しげにカーネルを見上げた。
カーネルはすぐにでもテルを追わなくてはならなかった。

「ワシらはこれからどうするかの……決起が成功したら引き続きここに住むことを考えとったが、帝国が現れた以上さして状況はよくならんのかもしれん
な」

老人はまるで名残惜しむように会話を繋いだ。
するとカーネルはフッと笑いかけた。

「それならIGに住めばいい。我々のいた地下施設です。ここにいる以外の地下の民は皆、IGに戻ると言っていますし、それに続けばいいでしょう。あの重層な扉を閉じれば、おそらく帝国の干渉さえも免れられましょう


老人は目を丸くした。長く豊かな眉毛に隠れていた目が見開かれ、クスクスと笑う。

「これは参ったな。また借りができてしまったじゃないか」

ランドクロスの運転席からゴランが顔を出し、カーネルを呼んだ。
カーネルはそれに応じると、かねてより老人に言う気でいた「あること」を告げた。



「そういうことでしたらご老人、あなたに二つ頼みたいことがあります」
 


老人は「なんじゃ?」と微笑んだ。

カーネルはしゃがみこみ、何やら老人に耳打ちした。

「一つ目は、『ある事』をこの街の人々に伝えて欲しいのです––––––––」

 

を聞き終えた老人は唇を尖らせた。何かを考えるようにしばらく唸ると、覚悟を決めて顔を上げた。

「わかった、必ず伝えよう。ただ確実に力になれる保証はない。命に関わることだ。他の者たちが参加するかどうかは各自の判断に任せる」

「もちろんです」

カーネルはフッと笑いかけ、すぐに次の質問に移った。

「二つ目は質問です。あなたに教えて頂きたいことがある」

カーネルは再び老人に耳打ちする
それを聞いた老人の様相は一変した。目をひん剥いてカーネルを凝視する。

「お主……なんでその事を……!?」

天井からの灯りで、老人を見下ろすカーネルの顔には影が差していた。

「何百人と暮らすヴラジでも、今となってはワシしか知らぬようなことだぞ⁉︎お主、少し前まで地下におったのだろう?一体どこでそれを––––––」

「その様子だと、やはり『あれ』は
実在するのですね」

カーネルは老人にフッと笑いかけた。そんな何気ない仕草さえ、今の老人には不吉なものに感じるのだった。目の前の男は、「街を解放してくれた勇敢な戦士」から「得体の知れない大
男」に変わっていた。

「お主は一体……」

カーネルは軽く会釈し、トラックへと駆け出した。

「短い間でしたがありがとうございました。ではまた」

カーネルはランドクロスに飛び乗った。
エンジンの重低音と共に、ゆっくりとキャタピラの車輪が回り始める。
動き出したトラックを見て、老人は「何か大変な事に加担したのではないか」と身震いするのだった。


ランドクロスは格納庫を出ると、
既に開かれていた大扉の下をくぐってヴラジを出た。


頭上には空、目の前には廃墟の街が広がる。
後方にそびえるヴラジの城壁に、内側から大勢の人々がよじ登ってカーネルたちに手を振っていた。
ゴランやイリーナ、同行する大人たちは窓から身を乗り出しそれに応じる。カーネルも空いている右腕を運転席から出して手を振った。



「どうした、親父?」

酒場の店主が、一人大扉の下で立ち尽くす父の肩を叩いた。
ヤギ髭の老人は遠のいていくランドクロスを見つめていた。深く息を吐くと、ぶんぶんと首を振る。

「何でもない。さぁ戻るぞせがれよ、これから忙しくなる。帝国が戻ってくる前に地下シェルターへ移住するのだ」

老人は踵を返し、街へ帰っていった。扉の開閉レバーには触れなかった。すぐに出発しなくてはならなかったからだ。

 

待ってくれよ親父、無理に走るなって!」

 

酒場の店主は嬉しげにその後を追った。

 

太陽が雲から顔を出し、陽の光が街に注ぎ込む。

その後、ヴラジの大扉が閉ざされることは二度となかった。



[A.D.2195 / 1 / 7]



【ヴォストーク編】END 



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鬱蒼とした木の葉の隙間から日差しが漏れ、地表に生い茂る草木を照らした。
そこは巨大な樹が立ち並ぶ森で、海からの風に草が揺れている。


すると、草原の上を誰かが駆けた。その後を二匹の獣が追う。

「ハァ……ハァ…ハァ……」

少女は息を切らしながら逃げていた。

山吹色のさらりとしたロングヘアを揺らし、白いローブを身に纏っている。
背後からは、二匹の白狼がその目にしっかりと少女を捉え、追ってきていた。

少女は周囲の巨大樹に上手く回り込みながら逃げ続けた。
やがて森の出口が見えると、足元の緑が次第に減っていく。

森を抜けると、その先は広大な砂漠だった。
足元は草原から輝く砂地に変わっている。

「あっ……!」

しばらく進むと、少女は柔らかい砂に足をとられその場に倒れた。急いで背後を振り返ると、二匹の獣が獲物を捕らえたと言わんばかりに猛進してくる。そしてそのまま、少女に飛びかかった。


少女は押し倒され思わず目を閉じた。

獣たちは少女に顔を近づけグルルと唸る。


そして、ペロリと少女の頬を舐めた。

「ふふ、ちょっとやめ……」

少女は白狼の顔を撫でた。
すると、森の方から白衣の女が走ってきて少女を咎めた。

「こらエレン!森に戻りな!」

エレンと呼ばれた少女は森の方へ振
り返った。なびいた山吹色の髪が太陽に輝き、透きとおった瞳で白衣の女を見つめる。

 

少女はゆっくりと立ち上がり、二匹の白狼を連れて森へと帰っていった。



~ To be continued to Chapter 3 ~

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