【新世紀黙示録】
(story.7)奪われた自由
〝2195年1月5日 多分晴れ。
今日も空の色はわからない。このドームの街に入ってから3日、一度も空を見ていない。
街の人いわく「外は多量の放射能で危険だから許可があるまで出られない」だそうだ。
3日前、この街を目指していたら乗っていたヘリが不時着した。一時はどうなるかと思ったけど、街のトラックにばったり出くわして乗せてもらえた(というより、向こうは俺が怪しいやつだと思って捕えたらしいけど)。今では疑いも晴れ、同じ日に街に入ってきた人たちと一緒に「奴隷扱い」さ。
なんにせよ、正直この街は居心地がよくない。もうドームの天井は見飽きた。空が見たい。
探していた「星のマークを持つ人物」も見つけたし、早いとこ街から出たいね。
P.S. いつか小説家になった時、題材に不足しないよう旅の近況を記す。〟
メガネの少年は鉛筆を置き、日記帳を閉じた。フゥとため息をつき、飲食店のテラスに腰掛けて周りを見渡す。
時刻は23時54分。就寝時間まであと6分しかないにも関わらず、近くの酒場からは楽しそうな笑い声が聞こえた。
やがて、最終警告の鐘が鳴り響いた。それは街全体に反響し、酒場の中に備えられたスピーカーから、うんざりするような声が漏れた。
《市民の諸君、もうすぐ就寝時間です。今すぐ寝るように。何度も言わせないでほしい。皆、就寝時間の1時間前には床について、後日の労働も頑張るよう心がけなさい。おやすみ》
「チッ……俺たちは仕事のために生きてるんじゃないっつうの」
誰かが小声でボヤいた。他の市民たちも同調しつつ、「あ〜あ」と重い腰を上げ酒場を出る。
少年もそれにつられ、筆記用具をリュックサックに詰めた。そして、街の宿泊所へと帰っていった。
[AM:6:00]
「起床オォォォ!朝だ起きろォォォォ!」
宿泊所の扉が勢いよくと開き、大声が飛び込んできた。街の憲兵だ。
少年はもぞもぞと布団から手を出し、枕元のメガネを探り当てた。
外では起床時間を告げる鐘が、なおも叫び続ける憲兵の大声と共に鳴り響いている。
少年はメガネをかけ、朦朧としながら起き上がった。
周囲の市民たちは、「何度この不快な二重奏を恨んだか」と眉間にシワを寄せ、布団から這い出ようとしていた。
少年の近くでなおも眠り続けるテルを除いて。
[AM:9:15]
カチャカチャと、目の前にあるライフルをテルはひたすら分解していた。
赤くなった頬を指でさする。
憲兵に無理やり叩き起こされたことで目は覚めたが、安眠を妨げられイライラしていた。
街の地下にある労働施設では、朝8時から労働が始まっていた。
巨大な労働施設には長机がずらっと並び、人々はその前に立って流れ作業方式で自分の工程をこなす。
言われた通りの工程を繰り返すだけの単純作業。その単純作業は1日10時間に及び、労働者たちを苦しめる。
「やってられん!!」
テルは持っていたライフルを机に置く。
「なんでおれたちは、何時間もチビチビ銃を分解してるんだ⁉︎」
「仕方ないだろ……街から出れない以上、食べ物を得るには働くしかない」
テルの横にいた者が呆れたように言う。IGにいた時の同級生だ。
テルは悔しそうに吐き捨てる。
「これじゃ地下と変わらん。早朝に叩き起こされて行きたくもない場所に行かされる……自由になるために地上に出たんじゃないのか!?」
「でかい声で言うな!……けど仕方ないさ。武器は全部取り上げられちゃったんだ、街には逆らえない」
「そこ!!手を止めるな!後がつかえる!」
憲兵が怒声と共にこちらへ走ってきた。腰には拳銃が携えてある。
「またお前か……早く手を動かさんか」
憲兵はテルを見て目を細める。
テルはお構いなしに手元のコップを手に取り水を飲んだ。
これ見よがしに喉を潤すテルに、憲兵は眉を寄せる。
「……手を動かせと言っている」
「今動かしたろ」
「仕事をしろと言ってるんだ!」
テルはぽりぽりと黒髪を掻いた。
「そんなに大事な仕事ならあんたがやりゃいいだろ。さっきから歩いてるだけだが、暇じゃないのか?」
憲兵は思い切り手を振り上げた。
テルは目をつぶらなかった。一層鋭い目で憲兵を睨みつける。人を殴るということは、逆に自分が殴られても文句は言えない。こちらが反撃する口実にしてやろうとテルは思った。
「水の差し入れでぇ〜〜す」
女の子が陽気な声で憲兵とテルの間に割り込んだ。手に持っていたジョウロで空になったテルのコップに水を注ぐ。
同級生の一人、アンナだ。
アンナは憲兵から何か言われる前に、間髪入れず言った。
「あっ憲兵さん、チビたちが暴れまわってるんで、お時間ありましたらそっちをお願いします。私は仕事がありますので……」
アンナは憲兵に微笑んだ。
この街の労働施設にはどこから持ってきたのか大量の武器が山積みされており、それらをひとつひとつ修理するのがこの施設の、ひいてはこの街の最大事業だ。
テルたちの近くにある銃の山を、ゴランとイリーナがジョウロ片手に蹴飛ばしていた。
憲兵はテルを睨みつけ、舌打ちして子どもたちの方に走っていった。
「すまないアンナ」
テルは気恥ずかしそうに謝った。
「いいのよ。感謝するならチビたちにしなさい。あの子たちが気を引いてくれたんだから」
アンナはそう笑いかけた。
離れたところでゴランが憲兵から逃げ回っている。大人しく座っているイリーナが、テルたちの視線に気づいて小さくウインクした。
[PM:6:00]
「終了ォォォォォ作業止めろォォォォ!」
メガホンを介した憲兵の大声がフロア全体に響き渡る。
朝とは違い、労働者たちは憲兵の大声がまるで福音かのように、笑顔で持ち場を離れた。
テルは手にしていた分解途中のライフルを足元の修復不能品箱に思いきり投げ込み、食堂に向かってフラフラと歩を進めた。慣れない労働とストレスで頭痛がした。
「あー……クソッ」
ブツブツつぶやいていると、背後から怒声が聞こえた。
労働フロアの一角で、ゴランと追いかけっこしていた憲兵が、その鬱憤を晴らすかのように野戦服を着たメガネの少年を壁際に追い詰めていた。
「この仕事量はなんだ?これで仕事したつもりか?」
憲兵は腰の拳銃をちらつかせながら言った。さも正当なことを言うように得意げな顔をしている。
「はァ〜〜使えん!もうお前来るな。明日から来なくていい!こんなお前……働かないやつに食わせるメシはないわ」
少年はうつむいて何も言わなかった。しかし、そのメガネの奥の瞳には確かな闘志が宿っていた。
眉を寄せ、無言のまま憲兵を細い目で見る。
「なんだ……?その目は」
憲兵の眉間にシワが寄った。
ストレス発散のつもりで常に一人でいる少年をいびったが、思いのほか弱気にならず、それどころか逆に強気に出たことに腹が立った。
憲兵は拳を握った。振り上げた拳を、渾身の力で少年の頬に振り下ろす。
少年は思わず目をつぶった。
突然、拳が憲兵の耳の横で止まった。
誰かが憲兵の背後で拳を握っている。
「今度は誰だ?邪魔するな……!」
憲兵は怒って、もう片方の手で背後の人物を突き飛ばした。
背後にいた男はのけぞった。
憲兵は眉を吊り上げ、口をあんぐり開けながら硬直した。振り上げていた手を下ろし、その場で直立不動になる。
「あ……あぁぁ………」
背後の人物は床に落とした丸メガネを拾い、顔にかけなおした。チラリと憲兵の向こうにいる少年を見る。
「しかし、いけませんね、大切な労働者を殴ろうとしちゃあ。労働者はこの街の発展に必要な存在ですよ?」
ストロガノフは優しい口調で憲兵に言った。
憲兵は顔面蒼白でビクビクしている。
「た……たた、大変失礼しました!この失態は今後の仕事で挽回しますので、どうか……!」
憲兵はストロガノフに土下座する。
近くで様子を見ていたテルは何がなんだかよくわからなかったが、メガネの少年はこの状況にどこか満足感を覚えた。その反面、先ほど無理やり押さえ込んでいた恐怖感が溢れ出し、足がガクガクと震え始める。
ストロガノフは優しい口調のまま、憲兵をなだめた。
「ま、あなたの仕事ぶりは伝え聞く限りそう褒められたものではありません」
憲兵の顔が一層青くなる。
「労働者たちを休ませずひたすら働かせ、目下の者の言い分、不平不満は暴力と権力で押し潰す。適度に休ませた方がかえって仕事の能率が上がることがわかっていないようです。……ですのでこの機会に反省し、今後の仕事で挽回していただきたい」
憲兵は何か言いたげだったが、最後の一言でホッとした。
ストロガノフは静かに、一言付け加えた。
「今後は『第三身分』として」
憲兵の顔から安堵の色が消し飛んだ。
土下座したままガンガン床に頭をぶつけ、必死に説得を試みる。
「どうかそれだけは……!妻子がおります!私が『奴隷』になっては……妻子を養えません!会うこともできません!」
「ではあなたの家族も『第三身分』にしましょう。それなら問題ないでしょう?それと、『奴隷』ではなく『第三身分』です。言葉の使い方に気をつけて下さい」
「し、失礼しました!以後気をつけますので……お願いします市長!!降格だけは……降格だけはご勘弁を!!」
地面と一体化するように頭を下げる憲兵に、ストロガノフは困った顔をした。
しばらく沈黙が流れた。
「……先ほどあなたが僕にしたことは、他でもない反逆行為ですね?」
「い、いえ!とんでもない!そんなつもりは全く……」
「『下の者は上の者に逆らってはいけない』。この街の、引いてはこの国全体の、絶対に破ってならないルールですね?」
ストロガノフは憲兵の前でしゃがみこみ、優しい表情のまま問いかけた。
「まして上の者を殴るなんて、間違ってもあってはならないことです。……連行!」
ストロガノフの背後にいた衛兵のうち二人が憲兵の両脇に立ち、どこへともなく連れ去ろうとした。
憲兵は必死に抵抗した。衛兵の腕を振り払いストロガノフの前に跪く。しかし、ストロガノフの丸メガネの奥に怪しい光を見たとき、憲兵は免罪の余地などないことを悟った。
首をがっくりと落とし、大人しく連行される。
「……あんたもだろうが」
憲兵が何やら背後のストロガノフに吐き捨てた。
ストロガノフは「ん?」と相変わらずニコニコした顔で言った。
「『目下の者の言い分は暴力と権力で押し潰す』……あんたもやってることは変わらない」
ストロガノフの丸メガネが光っていた。
すると、ストロガノフは右手の親指と人差し指をくっつけ、自分の首の前にヒュッと動かした。
それを見た衛兵が無表情のままうなずく。
憲兵はこの世の終わりのような絶望しきった表情をした。そのまま乾いた笑い声をあげ、連れ去られていった。
「大丈夫かい?」
ストロガノフは壁際にへたり込んでいた少年に手を差し伸べた。丸メガネの光は消え、先ほどのニコニコした表情に戻っていた。
少年は状況が飲み込めていないようだったが、ゆっくりと自分の右手をストロガノフの手に伸ばした。しかし、ハッとしたようにその手を引っ込める。
「ん?」
ストロガノフは笑いかけた。
少年は自力で立ち上がった。足がわずかに震えていた。
[PM:6:13]
テルは一足遅れて食堂に着いた。
食堂ではすでに、一日一番の楽しみを味わう労働者たちで賑わっていた。
テルは食堂の隅に空いた席を見つけ、目の前の用意された食事を見た。
「なんだこれ」
テルは手にしていたフォークを取り落とす。目の前には見たこともない料理が並んでいた。
一番大きな皿に盛られた厚い生焼け肉、カビの生えたパン、薄緑色をしたスープ、そして極めつけは得体のしれない6本足のトカゲの串焼き。
地上には地上の食文化があると理解してはいたが、これは食文化以前に衛生管理が行き届いていないとテルは思った。
「なんだよこれ!昨日まではちゃんとしたもん出たろ!まともなパンとかボルシチとかビーフストロガノフとか」
「そうそう出るわけないだろあんなもん」
横から住人の声がした。
周りの住人たちは皆、慣れたように目の前の食事を胃に流し込んでいる。
よく見ると、地下の民はテルと同様食べることにためらいがあるのか、ほとんどが食事に手をつけていない。
テルの隣に座っていた男が、6本足トカゲの串焼きをむしゃむしゃとかじりながら言った。
「昨日みたいな食事はな、たま〜に市長の機嫌がいいと出るんだよ。まぁ労働力が増したのが理由だろうな。でもさすがに3日もあの食事にするのは無理だったんだろ。地上では今日みたいな食事が普通だ」
テルは満足いかなかった。あれだけ働いてこの食事じゃあんまりだと思った。そしてこんな生活がまだ一ヶ月も続くと思うとやりきれなかった。
「でもおれたちがここで働く理由は『食っていく為』だろ?あれだけ働いたのにこんな食事出されて、ちゃんと相応な報酬を要求しないと市長たちが得するだけだぞ」
ガヤガヤ声の中、テルの言葉が聞こえる範囲にいた者は口をつぐんだ。住人たちでさえ、この現状には内心不満を抱いているようだった。
「これじゃなんのために働いてるのかわからん……なぜ誰も街の外に行こうとしないんだ。外にだって食べ物はあるのに」
「いたよ、そういう連中は」
住人の一人がつぶやいた。
ちょうどメガネの少年が食堂に入ってきて、空いていたテルの近くの席に座ったところだった。食事を見て目を丸くする。
住人は続けた。
「ただな兄ちゃん、あんまりこの件には首を突っ込まない方がいい。大人しくここで働くことを勧める」
「なぜだ?外に出ればこんな生活とはおさらばできるのに」
「それをしないのは外が危険な場所だからだ!」
別の住人がテルに反論した。
テルが三日前に訪れた酒場の店主だ。
「市長から説明されたろ!外は放射能が危険だし、そもそも食い物になるような動植物が……ーー」
「でもおれは街の近くで鳥を見たぞ⁉︎第一放射能の話だって疑わしいもんだ!本当に街の周りに放射能が満悦してるとして、あの隙間だらけのドームでそれが防げると……」
「あ〜〜〜もういい!!そういう夢みたいな話は沢山だ!」
酒場の店主はドンッと机を叩いた。
不穏な空気を察したのか、さっきまでざわついていた食堂はいつの間にか静まり返り、全員がテルたちの会話に耳を傾けていた。
テルはいったん冷静になって店主に言った。
「すまない、口が過ぎた」
皆の視線がテルに集中した。
その中でも、メガネの少年は人一倍興味深そうにテルを見つめていた。
テルは続けた。
「ただ、おれは自由になりたいんだ。自由になるために地上に出たのに、わけもわからずドームの中に押し込まれて、地下より過酷な生活をするなんて横暴だ。おれは、この街で働く為に地上に出たわけじゃない」
一同静まり返った。皆黙っていたが、そうだそうだと言いたげにうなずいていた。
しばらくして、酒場の店主が口を開いた。
「そりゃ俺だって……働くために生きてるわけじゃない。自由になりたいさ」
店主は手元のウォッカをぐびっと飲んだ。先ほどから飲んでいたのか、瓶の方はだいぶ中身がなくなっている。店主はコップを机に叩き付けた。
「そりゃ俺たちだって最初は市長を疑ったさ。外は本当に危険なのか?本当に動物はいないのか?ってな。だが市長をはじめ、取り巻きの役人や憲兵たちは、口すっぱく外は危険だと言い張る。武器をちらつかせてな。すると……俺たちはどうなると思う?」
店主は少し酔いの入った声でテルに問いかけたが、テルはわからないと首を横に振った。
店主は両手で自分の頬を叩いた。
「『外は本当に危険なんじゃないか?』って思えてくるんだ。なんせ街はドームのせいで外が見えないからな。段々市長の言うことより、自分たちの考えが疑わしくなる」
住人たちはまるで、自分のことのように話を聞いていた。
愚痴る店主の背中を、彼の妻が叩いた。
「まぁつまり、この人は君から外の世界のことが聞けて嬉しかったの。外の世界に自由はあったという希望が持ててね」
妻はテルに語りかけた。
「でもこの街の人間にとってその希望は、これまで自分が市長の言いなりになって過ごしてきた時間を否定する、いわば毒薬にもなりかねないの」
テルは彼女の話が理解できた。
テル自身、地下で同じような経験をした。地上という自由な世界があると知った時は随分ショックを味わった。
「あ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"クソっ!市長め!」
酒の入った店主が騒ぎ出した。
「クソッ!この酒やつの顔にぶっかけてやりたいぜ!!なんで俺がこんな目に遭わなくちゃ……」
その時、妻が焦って夫の口を封じた。
店主はモゴモゴと苦しそうにしている。
周囲の視線が一斉に、食堂の入り口に流れた。
「おや、随分と今日は静かですね」
ストロガノフは食堂を見渡し、ニコニコしながら言った。
皆、何の用だと不思議そうな顔をしている。
「何の用だといった顔をしてますね。今日は諸君に、新しい法の説明をしに来た次第です」
住人たちは互いに顔を見合わせた。なんだか嫌な予感がした。
「え〜……ここのところ街の生産力が落ちています。地下の方々がいらっしゃったおかげである程度は回復しましたが、人数に相応な仕事量ではありません」
皆、固唾を飲んで話を聞いている。
ストロガノフは続けた。
「これでは諸君に報酬を払う我々としても困ります。そこで、生産力を立て直すために新たな法を制定します」
ストロガノフは衛兵から一枚の紙を受け取り、丸メガネを掛け直して読み上げた。
「ヴラジ法 第34条『労働施設において、労働者の数に相応な仕事量を確保できない場合、その日のプレートの配給は行われない』」
「「「 !!? 」」」
一同騒然とした。プレートがなくては酒はもちろんありとあらゆる娯楽が使えない。
「めちゃくちゃだ……」
「酒飲んで嫌なこと忘れるしかないのに」
「仕事して寝るだけの生活しろってか?」
思わず不満の声が上がる。
ストロガノフは同情した。
「大変可哀想ですが、働かない者が楽しみを享受することはありえません。よって、本日のプレートの配給はナシです」
食堂全体から悲痛な声が上がった。
その中でも、酒場の店主は人一倍絶望的な顔をしていた。コップを握る手がブルブルと震える。
それを見たメガネの少年は、手元の水の入ったコップを静かに握りしめた。
ストロガノフは続けた。
「この街の発展は諸君らの喜びでもあります。そのために働いて社会貢献できることはとても幸せなことなのです。今後とも皆一丸となって労働に励んで欲しい。さもなくば……」
ストロガノフは一息置いた。
「諸君らの自由を制限し、それをバネにしてもらう他ありません」
ガタッと食堂の奥で椅子が動いた。
テルは酒場の店主の横を通る時、店主の握っていたコップを手に取った。
止めようとする店主の妻の手を振り払い、ストロガノフに歩み寄る。
「また君か……何か用かな?」
ストロガノフは呆れ半分、関心半分に言った。
テルは持っていたコップをストロガノフの前にかざした。コップに入ったわずかなウォッカが波紋をつくる。
「?」
「飲んでみな、多分うまいぞ」
テルは言った。
しかしストロガノフはコップを受け取らず、飲みかけの酒は御免だという顔をした。
「なんのつもりです?テル君」
「この酒は、この街の数少ない楽しみの一つらしい。奪ったら余計生産力が落ちることくらいあんたならわかるだろ?」
「わかりますけど、何の策も講じないよりはマシですよ」
ストロガノフはイライラながら腕を組んだ。
「イワーノフにそっくりだな。あんた」
テルがつぶやいた。
ストロガノフは「ハァ〜」と露骨にため息をついた。
「誰のことか知りませんけど、僕の何がそんなに気に入らないんです?」
「人を支配する立場のくせに、下の人間のことをまるで考えてないことだ。いうこと聞かないやつには罰を与えりゃいいと思ってる。だからこんな法をつくる」
テルはコップを強く握った。
ストロガノフは鬱陶しそうに横を向いて、どうでもよさそうな顔をした。
「確かに僕は市民のことを完全には掴めていませんが、なぜその酒がうまいのかはわかりますよ?」
ストロガノフはチラッとテルの方に視線を向け、ため息混じりに答える。
「そりゃ仕事でクッタクタになって飲む酒はうまいでしょうに」
テルはコップに入っていたウォッカを、思い切りストロガノフの顔にぶちまけた。
~To be continued~