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(story.8)テルと異邦人

ポタポタと、天井から滴るしずくがテルの頬を撫でた。寒さで白い息が漏れる。

ロウソクの火だけが灯る暗い牢獄の中で、テルは先ほどやったことを思い出していた。

「これでよかった」

鉄格子の向こうにある牢の鍵穴を見つめ、テルはそう自分を納得させた。



[30分ほど前]

ストロガノフは突然の出来事に頭が追いつかず、笑顔のまま硬直していた。顎からウォッカが滴る。
食堂にいた市民たちは皆、目を丸くしていた。
酒場の店主は酔いの飛んだ声で「は?」と叫んだ。

「うまいだろ?」

テルは、ウォッカまみれになったストロガノフの顔面にコップを向けたまま言った。
ストロガノフは無言のまま、白いスーツからハンカチを取り出し顔を拭いた。丸メガネの奥が光っている。

「これで目が覚めたろ」

テルは言った。

「『この街の発展は諸君らの喜び』?『社会貢献できることは幸せなこと』?勘違いするな。誰だって自分が生きる為に働いてるだけだ。社会の為なんかじゃない」

ストロガノフは鋭い目でテルを睨みつけた。
テルはお構いなしに続ける。

「だけどあんたの制裁が怖いから、誰も言いたいこと言えないんだ。それをいいことに労働者を歯車みたいに使うな!権力者なら下の人間のことをーーー」

「もういい」

ストロガノフはピシャリと言い、背後で面食らっている衛兵たちに視線を送った。

衛兵たちは我にかえり、テルを拘束する。
テルはわかっていたことなので抵抗しなかった。
ストロガノフはテルに歩み寄り、顔を近づけた。

「君はたしか、テル君とかいったかな?」

テルは無言のままストロガノフを睨んだ。

「君は口だけはよく動くな」

ストロガノフはテルにだけ聞こえるような声で言った。

「『権力者なら下の人間のことを考えろ』……だって?地下では労働者が一端の人間として扱われていたのかい?」

「当たり前だろ。何が言いたい?」

「地上と地下が同じだと思うなと言っている」

ストロガノフはテルの顎をグイッと掴んだ。
互いの視線が衝突する。

「こうやって拘束されては僕に手出しできんだろう?弱い人間は強い人間に扱われる絶対的な縦社会。それが『地上』だ。ここは君が思っているような楽園じゃない」

ストロガノフはテルの顎を握りしめ、なおも鋭い目を向けるテルを諭した。
周囲の市民たちは何を話しているんだろうと聞き耳を立てている。

「自由になりたくば、まず権力を掴むことだ」

ストロガノフはそう言い捨て、衛兵に指示した。

「連れて……痛ッ……⁉︎」

ストロガノフは悶絶した。
テルの顎から手を離し、噛まれた左手の親指を見つめる。

「……貴様ッ!」

「どうだ?口動かすのもそんなに悪いことじゃないだろ」

テルは衛兵に引っ張られ、二、三歩引きさがりながら言った。一呼吸おき、眉を寄せる。

「次はあんたの言う通り口だけに留めないよ」

ストロガノフは歯を軋ませた。

「叩き込め!この危険分子を地下牢へ!」

テルは衛兵たちに背後から銃を突きつけられ、どこへともなく連行された。
カーネルは頭を抱え深々とため息をついた。



[地下牢]

テルは敷布団のない鉄のベットに寝転がった。眠りにつこうとしたが寝心地は最悪だった。なんとか夢の世界に入ろうと羊の数を数えていると、地下牢の扉が開く音がした。

「?」

テルは起き上がった。
入り口の両脇にはサブマシンガンを持った憲兵が立ち、大勢がその間を通って暗い地下牢に入ってくる。皆、手錠をはめられていた。汚いボロぞうきんのような服を着て、一列に並んでのそのそと各自決められた牢へと入っていく。

この街の第三の身分『奴隷』である。

テルは三日間この街に滞在したことで、街の構造がなんとなく掴めていた。
ドームの街 ヴラジには大別して三つの身分が存在する。

①『第一身分』
市長をはじめとした役人・憲兵・衛兵などの、納税の義務を持たない特権階級。

②『第二身分』
通称「市民」。街の人口の過半数を占める身分。納税の義務があるが、プレートの使用が許可され、ある程度の自由が与えられている。

③『第三身分』
通称「奴隷」。この街で何らかの罪を犯した者たち。
一切の自由が与えられず、寝る時以外は常に武装した憲兵に監視されている。
納税の義務はないが、それは働いても食事以外の報酬が一切得られないため。
当然プレートの使用も許可されていない。

(……って憲兵が言ってたけど……)

テルは奴隷の行列を眺めた。誰も彼もそんな大罪を犯すような悪人には見えなかった。
そんなことを考えていると、黙々と行進する奴隷たちの最後尾に、見覚えのある者がいることに気づいた。


メガネの少年は顔面蒼白になりながら、暗い地下牢を歩いた。自分の両脇に立つ衛兵をチラッと見て、後悔に顔を歪める。

少年と衛兵が、テルのいる牢の前で止まった。
衛兵の一人が牢の扉を開け、少年を蹴飛ばし牢に叩き込む。
少年は濡れた石造りの床にベシャッと倒れこんだ。
二人の衛兵はすぐさま牢を施錠し、入り口の憲兵たちと共に地下牢を後にした。


衛兵が去った後も、少年は倒れたままだった。時折、「フフ……」と自嘲気味に笑っている。
テルは目の前に転がる少年をボーッと眺めていた。労働施設でストロガノフに絡まれていた少年だ。どうやら何かやらかしたらしい。
テルはやることもなかったので、思い切って少年に話しかけてみた。

「なぁ……」

すると、少年はゆっくりと起き上がった。ふさっとした茶髪についた砂が、ポロポロとこぼれ落ちる。

「あんた街の人間じゃないよな?数日前からちょくちょく見かけるが……」

「コ#**ミミ$#%ケ*=#…」

少年はよくわからない言葉を発した。滑舌が悪いのではなく、自分とは違う言語を話しているとテルにはわかった。
少年はポケットをまさぐり、何やら耳栓大の物を取り出した。それをテルに渡す。
よく見ると何かの機械のようだ。


「ほぅ、『ピースメーカー』か」


隣の牢から声がした。
鉄格子の向こうで、頬に傷のある男が物珍しそうにテルの指先を見ている。

「ん、あんたは……」

テルは、男の金歯を見て思い出した。地上に出て最初に出会った人間、この街に来る際にに乗ったトラックの運転手だ。よく見ると、他にもトラックで見た顔ぶれがちらほらといる。

「……あんた奴隷だったのか」

「奴隷?」

金歯の男はムッとしたようだった。

「言葉に気をつけな少年。『第三身分』だ」

テルは口を閉じ、すまないと謝った。
金歯の男はすぐに気を取り直し、テルのつまんでいる小さな機械を指差した。

「それよりそれ、耳にはめてみな」

テルは言われるがまま、その機械を耳にはめてみた。すると、メガネの少年がまたよくわからないことを言った。

「ソ%ハ%#€=ホン¥@『ピー@?/カ/』@/#%ンD。オ$@/%#ワー$デ@ョ?」

テルには相変わらず聞き取れなかったが、突然耳にはめた機械から音声が流れた。

《それは万能小型翻訳機『ピースメーカー』っていうんだ。俺の言葉がわかるでしょ?》

「!?」

テルは動揺した。大急ぎで機械を耳から外す。

「あ、大丈夫。別に危ないものじゃないから」

少年は小声で言った。

「お前は一体……?」

テルは訝しげに尋ねた。
少年はメガネをクイッと掛け直した。

「ジョージ」

テルは聞きなれない名前だと思った。
少年の話す言語が違うことや、自分たち地下の民やヴラジの住人とは違い丸みを帯びた顔立ちをしていることからも、少年が自分たちとは違う人種であることがわかった。

「おれは……」

「テルくん……でしょ?」

少年は食い気味に言った。

「なんでおれの名前を?」

「実は……君のお父さんに用があって、この街に来たんだ。君の話は聞いてる」

少年は言った。
テルは「なんで親父を?」と聞きたかったが、その前に根本的な疑問が浮かんだ。自分と父親は12年間地下にいた。なのに、なぜ地上人が父のことを知っているのか。

〝俺たちは昔地上にいた〟

父は確かにそう言っていた。しかし、地上に出た直後にこうして人が訪ねてくるとは、なんとも不思議な話だった。示し合わせたようにすら思える。

疑惑に満ちたテルの瞳を見て、少年は困ったように頬を掻いた。

「……そんなに睨まなくてもいいじゃないか」

「昔読んだ本に書かれてたんだ。自分と違う人種は敵だってな」

テルはそっと目を閉じた。幼い頃に読んだ愛読書『地上伝説』の一節を思い出していた。

「『まだ地上が安全だった頃、人類は人種・言語・文化の違いにより、果てのない戦いを続けていた。そしてそれは』……」

少年は息を飲んだ。

「『〈最後の審判〉により、一時の終息を見た』」

少年がテルの言葉を継いだ。
テルは目を丸くした。

「なんでそれを……」

「『地上伝説』でしょ?読んだことあるの?」

少年は声を弾ませた。

「読んだも何も、おれにとって聖典みたいなもんだ」

「へぇ〜……」

少年は嬉しそうに両手を合わせた。手の震えはいつの間にか止まっていた。

テルは驚いた。
『地上伝説』はその内容から、地下では禁書に分類されていた。そのため全てが焚書に処され、誰かと本の内容を語り合うことはできなかった。そして誰もが、建前なのか本音なのか「くだらない本だ」とバカにした。

「ジョージ……だっけ?なんで親父を探してるんだ?」



ヴラジは旧世紀よりこの地にあった要塞を改装した街である。街には三つの身分に合わせ、三つの区域が存在する。

新しい法により今日はプレートの配給が行われなかった。しかし、ほとんどの市民はプレートを貯蓄していたため、最上階にある酒場や賭場はいつも通りの盛況ぶりだった。

そんな活気の満ちた最上階と冷たい地下牢をつなぐ階段の間に、倉庫の扉がある。普段は使い道のないこの倉庫だが、夜になると地下牢の監視番になってしまった憲兵たちの、格好の時間潰しの場となる。

「あぁ〜〜暇だなァァ……」

憲兵の一人が何度言ったかわからないセリフを吐いた。
相方の憲兵がつられてため息を吐く。

「まぁ……ずっとあの辛気臭い地下牢に突っ立ってるよりは、ここの方がマシだろ?」

「でも暇すぎるんだよなァ……就寝までの5時間、奴隷どもを見張れって……」

上の階からは第二身分の賑やかな声がする。
二人の憲兵は地下牢の便所の穴よりも深いため息をついた。

「どーせ奴隷どもには抵抗の意思なんてないんだからさ、こんな見張り番自体不要なんだよ。市長もなんでそれがわかんねぇかなぁ……」


ガシャンと倉庫の扉が開いた。
二人の憲兵は驚いて立ち上がる。万一にも市長だったらおしまいだ。

しかし、扉の向こうにいたのは憲兵の格好をした背の高い男だった。

「……誰だ貴様?」

相方の憲兵が警戒して尋ねた。
男は憲兵用のバイザー付きヘルメットを被っていて顔は見えなかったが、こんな大柄な憲兵は二人の記憶になかった。
すると、男は答えた。

「本日付けで第二身分から第一身分の憲兵に昇格致しました。レフ・ドストエフスキーです」

二人の憲兵は顔を見合わせた。

「新人か。何の用だ?」

「市長から、まずは雑務からこなすようにと地下牢の番を命ぜられました」

レフと名乗る男は淡々と言った。
その言葉に憲兵の一人が顔を明るくしたが、相方は顔をしかめたままだった。

「待て、まだお前が本物の憲兵だという確証がない。まずは証書を……」

「いいからいいから。代わってくれるって言ってんだお言葉に甘えようぜ」

そう言って憲兵は相方の肩を掴んだ。

「じゃあ後は頼むぜ〜〜」

憲兵は腰につけたキーリングを男に渡した。


二人の憲兵が去った後、男は被っていたヘルメットを脱ぎ捨てた。

「予備服の管理と言い……ズサンなやつらだ」

カーネルは渡されたキーリングを見て言った。
リングには大量の鍵がかかっている。

「抵抗の意思がないかどうか、今にはっきりするさ。さて……テルとジョージが仲良くやってるか監視に行かないとな」

カーネルは憲兵服を脱ぎ捨て、キーリングをコートのポケットにしまった。



~To be continued~

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