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(story.5)産声

どのくらい時間が経ったのだろうか。
やがて嵐は止み、静寂が訪れた。

テルは正気を取り戻し、体にのしかかるドアの残骸を蹴り飛ばした。廊下の奥から日が差し込み、テルの瞳を焼く。

「クソ……なんだ……?」

テルは片手で両目を覆いながら、そっと立ち上がった。そしてふと手の甲を見ると、わずかに血が滲んでいる。指先で額をそっと撫でると、爪に赤い血がどっぷりと絡みついた。

テルは、光の差す廊下をよろよろと進んだ。空気中のホコリが日光でチカチカと輝いている。テルは廊下の奥まで進むと、ドアの枠組みに手をかけ、その先を覗き込んだ。

「マルクス……?」

テルは眩しさに目を細めた。
目の前には、既に外の景色が広がっていた。そこは元々は部屋のひとつだったと思われるが、壁や天井が崩れて日晒しになっている。

テルはそっと、ドアの枠組みをまたいだ。すると、足元のコンクリートの残骸がずれ、その下に見覚えのある物がチラと見えた。

「……これは……」

テルはそれをそっと持ち上げた。それは、使い込まれた灰色のシャプカだった。まだ人肌の温かみがある。他でもない、マルクスの品だ。

テルは急いで辺りを見回し、床の瓦礫をどかしてみた。すると、部屋の至る所に真新しい血痕が見つかった。そしてもうひとつ目についたのは、あちこちに落ちている何かの羽根だ。

テルはその羽根を摘んでみた。
真っ黒い、地下で飼っていたニワトリのものとは比較にならない大きさのもので、光にかざしてみると表面がわずかに透けているのがわかる。地下にいる間、生き物図鑑に一通り目を通したテルにも、何のものか検討がつかなかった。しかし、周囲に散らばる血痕と残されたシャプカが、身の危険を訴えていた。

「マルクス……!」

テルはシャプカを握りしめて立ち上がり、カーネルたちの待つ丘の方へと駆け出した。



[テルが気を失う少し前]

丘の上では、大人たちが未だに今後の方針を決められずにいた。全員での地上の探索を望む貧困層と、一旦地下に戻り少人数の探索隊を送ることを主張する富裕層とで意見が割れ、静かにはじまった会議は今や熱気を帯び、丘の上では無数のツバが飛び交っていた。

「仮に富裕層の意見を聞いたとしてよ〜〜、その探索隊ってのは誰がやるんだよ?当然、言い出しっぺのお前らがやるんだろうな?」

貧困層の男が言った。
すると、富裕層の男がすかさず反論した。

「そんなもの交代制に決まってるだろう!我々だけだなんて不平等じゃないか!」

「どの口が言ってんだ?俺らが今までどんな目に遭ってきたか、知らねーわけはねーよな?」

やがて、両層の他の者たちも口を挟む。

「そうよ!こういうことになるから、全員で探索しようって言ってるの。そうすれば、互いに文句は出ないでしょ?」

「老人や子どもはどうする気よ?」

 

富裕層の女が訊いた。

 

「……まさか連れまわすの?」

「地下で待機させるに決まってるじゃない」

「全員で探索するんじゃないの?」

「大人全員って意味よ。わかる?」

「あなたが舌足らずなのはわかったわ」

「……は?」

両層の間に火花が飛ぶ中、一瞬の沈黙を突くようにノイズが大音量で響いた。
大人一同、IGの入り口に目を向ける。入り口付近では、革新派の副官が何かの機械をいじり、その傍らでカーネルがそれを見守っていた。

「喧嘩ならいくらでも構わんが、もうちょっと静かに出来んか」

カーネルは親指で背後を指した。
周りの子どもたちが、困惑した目で大人たちを見ている。大人たちは押し黙った。声高に言い争っていた女二人は赤面し、互いに背後の人混みに戻っていった。

「ン……よし、できたぜ」

副官はドライバー片手に額の汗を拭き、でっぷりした横腹を持ち上げるように立ち上がった。もう片方の手には細長い機械が握られている。

「今度こそ上手くいくはず……」

「レフ、頼む」

カーネルに言われ、レフと呼ばれた副官は機械のダイヤルを回した。ノイズが辺りに響き渡る。数人の大人が、レフの元へ歩み寄った。

「……なんだそれ?」

「受信機さ。人がいるなら、何かを傍受できるかもしれン」

レフは慎重にダイヤルを回した。大人たちがそれを覗き込む。スピーカーの網からは、乾いたノイズだけが聞こえた。ダイヤルが回るほどに、ノイズの音量も波打つように変わり、時折、黒板を引っ掻いたような不快な音がした。

「フン……そんなオンボロ受信機で何ができるっていうんです」

学校の先生が口を挟んだ。
その時、レフの目の色が変わった。一瞬、何かの音を聴いたのだ。

「……!……静かに!」

レフは受信機を耳に押し当てた。
大人たちがドッとレフに擦り寄る。

「……なンか聞こえる……」

地上に出てから初めて全員が口を閉ざした。周りの子どもたちも黙々と大人たちの方を見ている。

受信機から途切れ途切れに流れる不快な音は、レフがダイヤルをある一定の箇所で止めることで、何か法則性を持った、鮮明な音に聞こえはじめた。やがてノイズが止み、何かが流れる。


《……这是……帝国广播……》


レフとカーネルは互いに顔を見合わせた。

「……聞こえたか?」

周りの大人たちも騒めいた。
レフは再び受信機を耳に押し当てるが、すでに聞こえるのは元の砂嵐の音だけだった。

周りの大人たちは皆、同じようなことを話した。先ほど流れたのは「音」というより、今も流れ続けている無機質なノイズよりは明らかに温かみのある、「声」に聞こえなくもなかった。

「カーネル、今のは……」

レフはカーネルの顔を見上げた。
カーネルは背を向け、何かを思案している。

「『这是』……『帝国广播』……」

カーネルは深刻な面持ちで無精髭をいじりながら、小声で先ほどの「声」らしきものを復唱した。

「……カーネル?」

レフが尋ねた時、カーネルはわずかに口角をつり上げた。


「父さん!!」


その時、廃墟の方からゴランとイリーナが走ってきた。しきりに親を呼んでいる。

「ゴラン!」

飼育員のヴィクトールが息子に駆け寄った。
ゴランは丘の斜面で前のめりに倒れこんだ。その腕には、巨大な灰色の卵が抱えられている。
ヴィクトールはそれを見るなり、これでもかと目を見開いた。

「な、なんだこれは⁉︎どこから持ってきた⁉︎」

「それを調べてもらおうと思って……」

ゴランは息切れしながら言った。後から追いついたイリーナが、ゴランの背後にへたり込む。
なんだなんだと群衆が三人を取り囲んだ。
駆け寄ってきたカーネルが、ゴランに問う。

「どこにあった?」

ゴランは息を荒げながら、軒を連ねる廃墟郡を指した。
ヴィクトールは激怒した。

「この馬鹿!遠くへ行くなと言ったろ!」

「ご、御免なさい。アタシ、止めたんですぅ」

目元を潤ませながら謝るイリーナに、ヴィクトールは気まずそうに笑いかけた。

「あ……いや、イリーナちゃんはいいんだ」

ゴランは歯軋りしながら、背後のイリーナをこっそりと睨めつけた。
イリーナはそれに気づき、目元を潤ませたまま、一瞬ぺろりと舌を出した。

「ゴラン!戻してこい!」

「今、後戻りするとかえって危険だ。ヴィクトール、何の卵か調べられるか?」

カーネルが尋ねた。
ヴィクトールはむしゃくしゃしながら答えた。

「……こんな卵みたことねぇからなぁ……まぁ、やれるだけやってみるが……」

ヴィクトールは近くに落ちていた手頃な石を拾い、卵の表面にそっと当ててみた。卵の脈動が、石を介して指先に伝わる。安全を確認すると、ヴィクトールは掌で表面をそっと触れてみた。卵はかなり熱くなっている。

「おそらく……孵化が近い」

ヴィクトールの言葉で、周囲にどよめきが走った。
カーネルはヴィクトールに訊いた。

「孵化するとどうなる?」

「そうだな……前例がないからわからんが、大抵の場合は鳴く。それも結構な声量で」

ヴィクトールは立ち上がり、腰に差した包丁を引き抜いた。地下の警備団の血が、刃に染み付いたままだった。それを見て、ゴランとイリーナが顔をこわばらせる。

「卵があるってことは、『親』がいるってことだ。産まれたら何を呼び寄せるかわからん。可哀想だが、今のうちに始末した方がいい」

ヴィクトールはカーネルに目配せした。
カーネルはうなずき、賛同する。
大人たちはドキドキしながら、周りの子どもたちと一緒に数歩退いた。

「いくぞ……」

ヴィクトールはナイフを逆さに握り、慣れた手つきで振り下ろした。

「ダメッ……!」

イリーナが卵とナイフの間に飛び込んだ。
間一髪、ヴィクトールは手を止める。

「イ、イリーナちゃん!何やって……」

イリーナは卵に覆い被さり、抱え込んだ。

その時、卵のてっぺんにヒビが入った。
ヒビは瞬く間に卵全体に走り、パラパラと殻が剥がれ落ちる。

ヴィクトールは唖然とした。
周りの者たちは更に数歩、後ずさりする。
やがて卵から、珍妙な生き物が顔を出した。

「あ……」

イリーナは唖然とした。
イリーナの目の前には、卵から伸びるふたつの顔があった。立派なクチバシを備えた鳥の顔だ。双子かと思ったが、卵の中を覗くと、ふたつの首の根元はひとつの胴体に繋がっている。

卵から溢れ出る粘液が、イリーナの手に絡みつく。イリーナは硬直したまま、口をあわあわと震わせた。
やがて双頭の鳥は天高くにクチバシを向けた。


ピィィィィイィイィィィィン


その甲高い鳴き声に、一同は耳を塞いだ。イリーナは歯を食いしばって産声に耐えながら、手元の卵を見た。すると、鳥の合計四つの目が同時に開き、イリーナの顔をじっと見つめた。


その時、500メートルほど先にある廃墟のひとつから煙が上がった。それと同時に、甲高い金属音が辺り一帯に鳴り響く。

一同、倒壊する廃墟に目を向けた。廃墟の崩れた箇所から舞い上がる砂塵が、周囲に拡散している。

「カーネル!あれは……⁉︎」

レフが慌てながらカーネルに訊いた。
カーネルは眉間にシワを寄せ、煙の中を睨んだ。うごめく何かの影が見え隠れしている。

「子どもらを退かせろ。地下へ!」

カーネルに言われ、レフはゴランとイリーナの手を引き、丘の上へと急いだ。途中、イリーナは置いていった雛を気にし、何度か背後を振り返った。

レフが子どもたちを地下へ退却させる中、カーネルはコートから拳銃を取り出し、周りの大人たちに言った。

「見ての通り何か来る。子どもらの避難が終わるまでに時間を稼ぎたい」

「冗談じゃねえ!こんなの聞いてないぞ!」

富裕層の男が叫んだ。他の何人かも同意する。
カーネルは、その者たちに冷淡な目を向けた。

「べつに無理強いはしない。戦いたくない者は去ってもらってかまわん。だが、ここで去った者は今後の旅には同行させん」

「何だよそれ!アンタにそんな権利あんのか⁉︎」

「いざって時に何もしないやつは足手まといになるだけだ。連れていくメリットがない。……それとも、自分たちだけで、地下で自給自足する自信がないか?」

カーネルの言葉に、富裕層の男は顔を歪めた。そして背後を振り返り、丘の上を見る。レフが混乱する子どもたちを何とか二列に並ばせ、狭い地下への入り口に誘導している。まだしばらくかかりそうだ。

「……畜生」

富裕層の男は舌打ちし、渋々カバンから武器になりそうなものを探した。他の者たちもつられて武器を取る。

「マルクス!!」

どこからか女の声がした。その女は、やがてカーネルの元へ駆け寄ってくる。

「カーネルさん、息子がどこにも……!」

「……!……そういえばテルも……」

カーネルは辺りを見回した。そして困ったように頭を掻き、廃墟に視線を送る。
女は下唇を噛み、無言でカーネルを横切った。

「奥さン、やめた方がいい」

カーネルの警告を無視し、女は廃墟の方へと駆けた。
カーネルはため息をつき、拳銃を見た。


……が、すぐに女の方へと視線を戻した。


女の向かう先で何かが揺らめくのを見たのだ。まるで蜃気楼のように一瞬だけ空間が歪み、気づけば女は、胴体が真っ二つに裂かれていた。

遅れて気づいた者たちが、道路の方へと目を向ける。荒れ果てた道路の亀裂に女の血が流れ込み、赤い川が伸び広がる。バラバラになった女の遺体の周りには何もない。長く広い道路の両脇に廃墟が連なっているだけだ。雲から差し込んだ光が、女の遺体に降り注ぐ。

「……わっ」

大人たちはわけもわからず、後ずさりした。何が起きたかすらわからず混乱する。やがて、女の血が道路の草の根元に染み込んだ頃には、数人の大人たちが丘の上へと逃げ出していた。

「おい!ふざけんな!!」

ヴィクトールが叫んだ。逃げ出した者の中には、貧困層の者も何人かいた。皆、一心不乱に地下への入り口へと走っている。腰を抜かし、四つん這いになっている者もいる。

すると、その者たちの近くの空間がまたしても歪んだ。

何人かは見えない何かに薙ぎ倒され、散り散りに吹っ飛ばされる。
四つん這いの男はすぐにカーネルたちの元へ引き返すが、何かに突き飛ばされ、地面に仰向けに倒れた。

「あっ……」

ヴィクトールは目を見張った。
男が突如、見えない糸で釣り上げられたかのように天高く舞い上がったのだ。男は必死に抵抗するが、なす術もなく、豆粒ほどの大きさになるまで上昇する。

「うわあぁアあぁァアアァあぁあ!!!!!」

男は叫びながら、自分を掴んでいる「何か」に顎を外す勢いで噛みついた。下の方でも叫び声が聞こえる。噛んだそれは、硬くてザラザラしたものだった。妙な異臭が男の鼻をつんざく。
すると、男の足に激痛が走った。男は目元を潤ませながら噛むのをやめる。何が起きたかは、下を見ずとも音でわかった。

地上では、混乱した大人たちが絶叫しながら銃を乱射していた。男はすでに雲の近くにまで飛び上がっており、助かる見込みはない。

「おい……なんだょこれぇ……」

男はもはや、意味不明な状況に笑いがこみ上げてきた。白昼夢でもみているのかと思い頬の内側を噛むが、リアルな肉の感触がするだけだ。

「ハハハ。これは夢だ。リアルな夢だ」

男は思考停止し、全身の力を抜いた。


やがて、重力に従って落下してくる男の額には、銃痕ができていた。

カーネルは拳銃をリロードし、周りの者たちに散開するよう呼びかけた。空間を歪ませる「何か」は、どこへともなく姿を消していた。

「親父!」

カーネルが周囲を見渡す中、廃墟の方から聞きなれた声が聞こえた。テルがシャプカを握り、こちらに駆けてくる。

「親父!近くに何かいる!」

「テル!来るな!!」

カーネルが叫ぶと同時に、空の一部が一瞬だけ揺らめいた。見えない何かが太陽を背に、大人たちの元へ急降下してくる。
瞬く間もなく、凄まじい風圧が大人たちを襲い、辺りの人々を四方八方に吹き飛ばす。カーネルは踏ん張って風圧に耐え、拳銃を見えない何かに向けた。空間の揺らめきを捉えて数発撃つが、全て不発に終わる。

カーネルは舌打ちした。
気づけば、幻影はまたどこかへ去っていた。
舞い上がる砂塵の中には、幾人もの怪我人、死人、そしてわけもわからず腰を抜かす無事だった者たちが見えた。
敵は何かを探しているようだった。

「カーネル!!」

子どもたちを避難させ終えたレフが、丘の上から叫んだ。
カーネルはすぐさま、皆に呼びかける。

「全員地下へ!俺が時間を稼ぐ!」

それを聞くなり、無事だった者たちは死に体の怪我人たちを捨て置き、一斉に地下へと走った。そんな中、その場に残ったカーネルの背後から、一人の男が歩み寄った。

「付き合うよ……元はといえばウチのガキが原因だ。責任はとる」

ヴィクトールは足元の死人からライフルを拝借し、カーネルの横に並んだ。痩せ我慢しているのか、その手はかすかに震えていた。
カーネルはヴィクトールの背中をバンと叩き、ニッと笑った。そして、近くで棒立ちになっているテルを見る。

「何やってる。お前も戻れ」

テルは息が上がっていた。今しがた目の前で起きた惨劇を、わけもわからず眺めているしかなかった。足元まで飛んできた死体の手には、拳銃が握られている。

テルは丘の上を見た。地下の入り口で大人たちが押し合いへし合い、大往生している。まだ多くの者が地上に残されたままだった。

「テル!」

ヴィクトールが怒鳴った。
テルは、右手のシャプカを握りしめた。状況はなんとなく理解できた。マルクスを襲った何かに今、自分たちも襲われている。認めたくなかったが、マルクスはもう生きていない。足元の死体を見て、テルはそう確信した。そして、これが地上なのだと思った。

〝地上へ行こうぜ、テル〟

そう言ったイワンは死んだ。自分の身勝手のせいで。マルクスもそう。否、周りに散らばる亡骸たちは皆、自分がカーネルに地上へ行きたいなどと言わなければ、もしかすると死なずに済んだかもしれない。今ものうのうと、地下で生きていられたかもしれない。その方が幸せだった者もいたかもしれない。

「テル!何やってる!戻れ!」

ヴィクトールが声を張り上げた。
テルは足元の拳銃を見る。そして覚悟した。

「いやだ」

テルはシャプカを置き、代わりに拳銃を手に取った。ヴィクトールは目を丸くする。

「お、お前なに言ってんだ!?死ぬぞ!!」

危険なのはテルも百も承知だった。しかし、ここで引き下がっては地上に出た意味がまるでないとも思った。この場でなす術もなく見えない敵に追いやられたら、おそらく地下の民は二度と、地上の土を踏めなくなる。さもなくば待っているのは、地下でのあの退屈な日々だ。ただ生きながらえて死を待つだけの、無意味な人生だ。テルにとってそれだけは絶対に避けたかったし、結果的に地下へ帰りましたでは、死んだ者たちに手向けられなかった。

「おれは地下へは戻らない。死ぬなら地上で死んでやる。その為にここまで来たんだ」

テルは拳銃を握りしめた。正直、帰りたくて仕方なかったが、この正念場を耐えられるかどうかが、人生の分岐点に思えていた。
テルはカーネルの元へ踏み出した。すると、カーネルはくしゃくしゃと髪を掻き、そっぽを向いた。

「好きにしろ」

カーネルはわずかにニッと笑っていた。
テルは少しだけ勇気が湧いてきた。


その時、カーネルの背後で何かが揺らめいた。
テルは全身が総毛立ち、気づけば叫んでいた。

「親父!うしろだ!!」

カーネルは瞬時に反応し、横に飛んだ。しかし完全には避けきれず、見えない何かに突き飛ばされる。それでも、直撃は免れた。一方、ヴィクトールは無事ではなかった。四肢があらぬ方向へ曲がった状態で、宙を舞っている。

テルはまるで、時の流れが遅まったように思えた。空間の歪みがこちらへ突進してくるのが、はっきりとわかる。
テルは反射的に銃を構えた。なぜ避けないのか自分でもわからなかったが、まるで戦い方を覚えているかのように、気づけば発砲していた。

「オオオォォォオォォォオッ!!!」

雄叫びをあげ、テルは何度も引き金を引いた。
弾丸は一直線に見えない敵に向かっていく。
空間が揺らめき、見えない敵はするりとそれを避けようとした。



その時、テルの目の前で何かが爆発した。
突然の衝撃にテルは地面を転がる。カーネルも思わず身構えた。やがて、テルは飛んでくる破片に目を守りながら、そっと顔を上げた。

前方で、見たこともない怪物がジタバタと暴れている。広げれば20メートルはあろう巨大な翼を持ち、胴体から二つの首を生やす双頭の大鷲だ。片方の翼からは煙が上がっている。

「これは……」

テルは唖然とした。
すると、どこからか砲撃音が鳴り響いた。
テルはとっさに身構える。

双頭の大鷲はただちに起き上がり、凄まじい脚力でうしろに跳んで砲撃を避けた。着弾した砲弾が炸裂し、大鷲に踏み潰された廃墟がガラガラと崩れ去る。
再び砲撃音が鳴り、第三波、第四波が大鷲を襲う。大鷲は華麗に空へと跳び上がってそれを避けた。巨大な黒い翼を羽ばたかせながら、甲高い鳴き声を上げる。そして全身を空の色に透過させ、どこへともなく去っていった。



脅威が去った後、空が少しだけ晴れた。降り注ぐ光の中、地下に籠っていた者たちが一人また一人と顔を出す。
テルは瓦礫の中からゆっくりと身を起こし、砂だらけになった髪を振るった。すぐ近くで、カーネルがヴィクトールの遺体に歩み寄り、開かれたままだった遺体の目を閉じている。

「……すまない」

カーネルは立ち上がり、砲弾が飛んできた方を見た。
テルも立ち上がって同じ方角を見る。そして目を疑った。

「あれは……!?」

丘の上では、地下から這い出てきた者たちが言葉を失っていた。唖然とするレフの傍、ゴランが握られていた手を振り払い、丘を下ってヴィクトールの元へ走る。イリーナはレフの手を握ったまま、真っ白い目でヴィクトールの遺体を見た。そして、遥か彼方に目を向けた。


地平線まで伸びる長い道路の先に、一台のトラックが止まっていた。遠目に見てもわかるほどの大きさで、コンテナの上にマウントされた砲座から硝煙を吹いている。

「親父……」

テルは拳銃を拾い、カーネルに近寄った。
カーネルは眉を寄せ、トラックを凝視する。

やがてトラックは錆びたボディーを揺らし、ゆっくりとテルたちの元へ進んだ。



~To be continued~

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