【新世紀黙示録】
(story.4)朽ちた日記
夜明けを告げる朝日が、テルたちの目を焼いた。荒涼とした世界が照らし出される。
人々は小高い丘の上に立ち、夢に見た「地上」の光景に圧倒されていた。
目の前には、ひび割れた道路が地平線の彼方まで伸びており、乾いた大地を両断している。
道路の両脇にはコンクリートの廃墟が軒を連ね、遠くには廃墟のビル郡や山々が見えた。
小さな風がテルの髪を撫でた。
やがて一人、また一人と丘を下り、各々が新世界に足を踏み入れる。テルもそれに続いた。
道路のひびから生える雑草が揺れ、周囲から歓声が上がった。
「やった……やったぞ!」
「地上だ!!」
「自由だァーーーッッ!!」
割れんばかりの歓声が空に響き渡った。
貧困層は互いに抱き合い、手にした自由を噛み締めた。最初は渋っていた富裕層の者たちも、やがて嬉しそうに顔を見合わせた。
「いたんだ……人が」
テルは廃墟郡を眺めつぶやいた。自分がずっと掲げてきた、「かつて人間は地上にいた」という仮説が証明された瞬間だった。まだ地上に人間がいるかどうかはわからないが、自分たちはここで生きることができると、道路の亀裂で息づく雑草を見て、テルは確信した。
その時、頭上で何かの音がした。
テルは空を見上げ、声を漏らした。
「生き物が……」
空に浮かぶ灰色の雲の下を、一羽の鳥が飛んでいた。
鳥の翼が日光を遮り、テルの顔に影を落とす。
「あれが……『鳥』?」
テルは幼い頃に読んだ『地上伝説』の記述を思い出した。しかし、それに書かれていた「鳥」とは少し違っていた。空を飛ぶそれは、二つの頭を持っているのだ。
鳥は金属音のような甲高い鳴き声を上げ、どこへともなく飛んでいった。
「ゴラン!あんまり遠くへ行くなよ!イリーナちゃんもなぁ〜」
地上到達から一時間後。貧困層の男が、11歳になる息子と、その幼なじみに叫んだ。
子ども達はわかったのかわかっていないのか、適当な返事をする。それを聞き届けると、男は足早にIGへの入口がある丘の上へと向かった。
丘の上には、貧困・富裕両層の大人たちが一堂に会していた。何があるかわからない地上を無闇に歩くのは危険と判断され、緊急会議が開かれたのだ。
「これで全員揃ったか?」
カーネルが切り出した。
「始めよう。何か意見のある者はいるか?」
すると貧困層の男が手を挙げ、我先に言った。
「見たところ周囲に危険はない。ここにいても仕方ないし、移動すべきだと思うが……」
「どこに危険が潜んでいるかなんてわからないでしょ。第一、移動するにしてもどこへよ?」
富裕層の女が食い気味に言った。
他の富裕層の者も賛同する。
皆、地上の知識が欲しいことに関しては同意見だったが、どこへ向かえばいいのか、そもそも人は生きているのか、検討もつかなかった。
「ん〜〜ッ……」
テルは荒れた大地に仰向けになり、思い切り伸びをした。こつごつした鈍色の土が、ひんやりと冷たい。
すでに太陽は雲の上に昇り、陽光が雲の隙間から漏れ、大地に注がれている。四方八方を囲んでいた鉄の壁や天井は、今やどこにもない。
流れる雲をしばらく見つめていると、テルはふと思った。
(あの時……イワンが撃たれ、おれの右足も撃たれた時、おれはイワーノフと護衛団に囲まれた。まともに動けるような状態じゃなかった。なのになぜ、おれは助かったんだ?)
テルはその時のことを思い出そうとしたが、あるところから記憶が途切れていた。
イワーノフと対峙した時、頭の中で何かが切れた。そこから、カーネルの腕に抱かれて目を覚ますまでの記憶がないのだ。
まるで〝自分の中に眠っていた別の人格が目を覚まし、一時的に入れ替わった〟。記憶の断片を探れば、そう表現するしかなかった。
「んッ……」
テルの頭に締め付けるような痛みが走った。身に覚えのある痛みだった。
(そういや、今日の分の薬を……)
テルは時々、奇妙な夢を見ることがあった。
地下を脱出する2日前にもその夢を見たが、目が覚めると決まって謎の頭痛に見舞われた。今の痛みはそれに似ていた。
奇妙な夢の内容は毎回同じだった。「幼い頃の自分が、地上で、夜空に飛び交う鉛筆のようなものを見つめる」というおかしなものだ。
当然、地下育ちのテルが地上の光景を知るはずもないので、これは自分の強い願望が夢に現れたものだと思っていた。
しかし、今のテルの考えは違った。
〝俺たちは昔地上にいた〟
螺旋階段を上っている最中、カーネルが放った言葉だ。
雲の流れが早くなるのを見つめながら、テルは腕を組み考えた。
(あの夢は、おれが地上にいた頃の記憶なんだろうか……)
「テル!」
どこかから声がした。
テルが上体を起こすと、背後に見慣れた顔が並んでいた。いずれも皆、テルの同級生たちだ。
「聞いたぞ、お前がやったんだってな!」
そばかすだらけのマルクスが興奮して言った。興奮のあまり、被っていたシャプカが地面に落ちる。
テルは首をかしげた。
「何を?」
「護衛団だよ!一体どう倒したんだ?」
するとアンナがシャプカを拾いながら言った。
「みんな感謝してる。本当に地上へ行けちゃったんだもん。すごいわ」
テルは恥ずかしそうに頬を擦った。
やがて他の同級生や子ども達も集まってきた。
「それはそうと、イワンは?」
唐突にアンナが訊いた。
テルは凍りついた。
「あいつ、散々テルと対立してたから、恥ずかしくて顔出せないんじゃねぇの?」
「あんたも人のこと言えないでしょ!」
「まぁそれはそうと、イワンも地上へは行きたがってはいたと思うぞ。多分あいつも感謝し…………テル?」
テルはうつむいていた。自分がカーネルの指示を聞かなかったせいで、イワンは犠牲になったのだ。責任を感じていた。
すると、マルクスがテルの手首を引っ張った。
「ほら立て!その辺を探索に行くぞ!」
しかし、テルはその手を振り払った。そしてしゃがみこむ。
「親父たちが今後どうすべきか話し合ってる。指示を待つべきだ」
「おいおい、何らしくないこと言ってやがる。地上へ行くとか言い出したのはお前だろ?」
マルクスは荒れ果てた世界を指差し、なおもテルを連れ出そうとした。
テルは顔をしかめた。
「おれは怪我してるんだよ。無理させ……」
そう言いながら、テルは自分の右足の異変に気付いた。急いで靴を脱ぐ。
「どうしたの?」
アンナが尋ねた。
テルは撃たれたはずの右足を見て絶句した。
「痛みがない……それに……」
傷口が塞がっている。確かにあったはずの銃創が、窪みのような跡を残して消えているのだ。
「なんだ、なんともないじゃん」
テルは右足のことで頭がいっぱいのまま、マルクスに手を引かれていった。
その頃、道路脇に軒を連ねる廃墟のひとつに、二人の子どもが忍び込んでいた。
その廃墟は壁や天井が崩れ落ち、もう骨組みしか残っていない。かつては喫茶店だったのか、入り口に「Rabi」と書かれたコーヒーカップ型の鉄の看板が落ちている。しかし、今は床の大部分が瓦礫で埋もれ、見る影もない。
「ねぇゴランまずいって!」
イリーナは、言いつけを破った幼なじみを、大人たちの元へ連れ戻そうとした。
ゴランは、風通しのいい屋内に残されたベッドの前でしゃがみこみ、何かを見ている。銀髪の坊主頭には舞い上がったホコリが乗っていた。
「ねぇ戻ろうよ!さっきから何やって……」
「シッ!大声出すな」
ゴランは警戒した。
イリーナは怪訝に、ゴランの手元を覗いた。
「何……これ?」
イリーナは目を丸くし、絶句した。
そこには、巨大な卵がひとつ鎮座していた。大きさは平均的な大人の頭ほどもあり、灰色の殻に、青白い斑点を浮かべている。卵は軽く脈打っており、そのたびに斑点が白く輝く。
ゴランは卵に、そっと顔を近づけた。
イリーナが小声でそれを咎める。
「……危ないって!」
「これ、もうすぐ出てくると思う……」
ゴランは爪を噛みながら考えた。すると、何か閃いたのか、その卵を慎重に抱え上げた。
イリーナは慌てふためく。
「え?……え?」
「父さんは飼育員だ。何かわかるかもしれない。それに……と、とにかく皆に教えないと」
ゴランは元来た道へと走り出した。
イリーナは呆然とし、すぐにその後を追った。
「待ってよおぉぉ……」
テルはマルクスに連れられ、大人たちの目を盗んで、廃墟のひとつに忍び込んだ。
テルが入ったのは、今にも倒壊しそうな二階建ての家だった。ドアを開けると、屋内にホコリと、壁から剥がれてきたであろうコンクリートの粉が舞った。リビングは天井が崩れて吹き抜けになっている。
(古い……一体いつの時代のものなんだ?)
テルはそっと壁に触れた。
コンクリートがポロポロとこぼれ落ちる。
(何十年なんてもんじゃない。少なくとも、放棄されて100年は経ってるんじゃないか?)
物が散乱した屋内には、骨組みだけになった鉄のベッドや、煉瓦造りの暖炉が残されていた。木製の家具はひとつもない。風化してしまったのか、それとも元々置かれていなかったのか。
すると暖炉の上に、錆びた鉄の箱が置かれているのが、テルの目に映った。南京錠のついた、長方形の箱だ。
テルは箱を手に取り、蓋を強引に持ち上げてみた。すると、箱はいともたやすく開いた。朽ちた南京錠が落ち、床に積もったコンクリートの破片を割る。
(……これは……?)
箱の中には、一冊の日記が入っていた。
白い表紙にテーピングされた背表紙の、ごくありふれたもので、だいぶ腐食が進んでいる。表紙の端には霞んだインクで、〝ニキータ・ストロガノフ〟と書かれていた。
テルは日記を慎重に持ち上げ、めくってみた。
日記には、ごく平凡なことが書かれていた。今日はいい写真が撮れたとか、妹の結婚式にいってきたとか、そんなことが丁寧な字で綴られている。
テルは日記をパラパラとめくっていった。すると、奇妙なページに行き着いた。そのページだけ、前のページから随分と日付が飛んでおり、荒れた筆跡でこう書かれている。
〝私は正しいことをした。死んでもきっと、天国へ召されるであろう。妹は大丈夫だろうか。これから死ぬまで、あの狭い世界で生きていけるだろうか。否、花婿のガブリエルは善良な男だ。私の代わりに彼女を守ってくれるだろう〟
「狭い世界……?」
テルは思った。「狭い世界」というのは、もしかしてIGのことではなかろうか。「ガブリエル」もいう名も、半分寝ながら聞いていた歴史の授業の記憶が正しければ、初代管理主任の名前と同じだ。
テルは食い入るように、日記の続きを読んだ。
〝テレビからは逃げ惑う人々の声が聞こえる。アナウンサーは気丈にも、今という時にまで職務を全うしようとしている。おそらく大都市の多くは、すでに跡形もないだろう。ここにも審判の刻は迫っている。私は地下室に身を潜めるが、はたして生き残れるだろうか。生き残れたとして、どれだけの時間を独りで過ごすのだろうか。審判後の世界は、どうなっているのだろうか。写真会社の社長として興味がある。生きて、この目で拝めないのが残念だ〟
テルは次のページをめくってみた。
何も書かれていない。日記はここで、唐突に途絶えている。後のページは全て空白のままだ。
テルは無言で日記を閉じた。
これを綴った男はどうなったのだろう。地下室というからには、さしたる広さではないはずだ。そんな場所に篭り続けるというのは、十年以上地下で暮らしたテルにさえ、想像を絶する苦痛のはずだ。
男は今でも、白骨化して地下室に眠っているのだろうか。あるいは生き延び、地上を見られたのだろうか。気になるところだが、テルにはもうひとつ、引っかかる点があった。
「審判の刻……」
テルには覚えのある言葉だった。実は、愛読書『地上伝説』には似たような記述が存在する。
〈最後の審判〉
世界を破滅へと導いた大厄災。『地上伝説』によれば、これにより地上文明は崩壊し、人類は地下をはじめとする安全圏への避難を余儀なくされたという。
しかし、それはフィクションでの出来事のはずだった。地下でこんな話をすれば、オカルト好きの終末論者だと揶揄されたものだった。
だが、状況は一変した。現に地上は存在し、そこには荒れ果てた世界があった。
テルは全身の身の毛がよだった。ずっと信じていたことが、予想から確信に変わった。
(やっぱり、『地上伝説』に書かれていたことは本当だったんだ……)
ピィィィィイィイィィィィン……
どこからか、弦を弾く様な金属音が聞こえた。
テルは辺りを見回した。誰もいない。一緒にいた同級生もいつの間にやらいなくなっている。
「……マルクス?」
テルは小声で言った。しかし返事はない。
ホコリが漂う屋内では、物音一つしない。朽ちた雑貨や家具が寂しげに転がっているだけだ。
テルは一歩を踏み出した。足元に散らばるコンクリートの破片がじゃりじゃりと音を立てる。その音を立てないよう、テルは暗い廊下へと近づく。すると、廊下の奥の方で光が見えた。
廊下の奥の部屋のドアから陽光が漏れ、暗い廊下に差し込んでいる。ホコリが光に反射し、ちりちりと輝いていた。やはり人影はない。
「マルクス……!」
テルは囁き、廊下へと足を踏み入れた。
その時、けたたましい金属音がテルを襲った。
奥の部屋のドアが吹っ飛び、砂嵐のようなホコリが廊下に吹き荒れる。テルは、正面から飛んできたドアが額にぶつかり、床に打ち付けられた。
奥の部屋に、何かがいる。
朦朧とする意識の中、テルは「黒い何か」を、吹きすさぶ嵐の向こうに見た。
~To be continued~