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(story.31)ジーリンの影

昼下がりの頃、ランドクロスのキャンパーコンテナでは、レフに突然のプレゼントを渡されたゴランとイリーナが歓喜していた。

「スゲーッ!これ本当にもらっていいの?」

ゴランは綺麗に洗われたシャツと破れ目のないジーパンを、目の前で広げて叫んだ。傍には、古い拳銃(故障済)が置いてある。
一方、イリーナはソファーの上で鼻歌交じりに、ピンク色の化粧品箱を開けていた。

「ん〜……口紅もいいけどアタシ、新しい香水が欲しかったかな」

そう言いつつ、イリーナの目は踊っていた。
鳥籠の中のラビは、二つある頭で一つの肉を奪い合っている。

「講釈たれンな。高かったンだぞそれ。二人ともさっき言ったことちゃンと守れよ」

「「へーい」」

レフに言われ、ゴランとイリーナは敬礼した。

レフはプレゼントに夢中になっている二人を背に、そっとキャンパーコンテナを離れた。操縦室に入って重い鉄の扉を閉ざすと、運転席に座って待ち構えているカーネルに言った。

「これでしばらくは大丈夫だろう。さァ、続きを話してくれ」

カーネルは両手の肘を膝に乗せ、顔の前で手を組んでいる。しばらく思案した様子だったが、やがてゆっくりと話を再開した。

「『仲間たち』……についてだったな。たしかに俺は『仲間たち』から空港の情報を得た。お前さんの憶測通りだ」

「その『仲間たち』ってのは誰なンだ?」

レフは慎重に訊いた。
カーネルはまた何か考えて答えた。

「俺の古い友人たちだ。知っての通り、俺は地下で生まれ育ったわけじゃない。元々は地上にいたが、わけあって12年前、テルと共に地下へと潜った。『仲間たち』は、前に地上にいた頃に一緒にいた連中だ」

「なら……なンで今になって、その連中と連絡を取り合ってる?」

レフの質問に、カーネルは言葉を詰まらせた。
しばらくの間、雨音と落雷の音だけが聞こえたが、やがてレフが痺れを切らして尋ねた。

「あンたは一体、何を考えてる……?」

すると、カーネルがレフを制した。

「待てレフ、お前さんが知りたがっていること、『仲間たち』について、教えてやってもいい。だが、知ったら後には引けなくなるぞ」

「……引けなくなる?」

レフは小声で訊いたが、カーネルは無視して続けた。

「どうしても知りたくば、俺の質問に答えろ。答えによっちゃ、可能な範囲で教えてやる。まず……お前さんはなぜ旅に同行してきた?」

カーネルの質問に、レフは即答した。そんな理由は、カーネルならとうにわかっているものと思っていた。

「そンなの、決まってるじゃないか。誰と革新派を組織したと思ってる?地下に未来はない、だから地上に出たンだ。IGに後腐れはないね」

「つまり、自由になるためなんだな?」

レフはうなずいたが、カーネルの質問の意図がわからなかった。
カーネルは「そうか」と一言だけ呟いた。そして次の言葉に繋ぐまでの間、レフは辛抱強く待った。

「じゃあ、言うが……」

カーネルはボサボサの黒髪を掻いた。

「レフ、今からそう遠くないうちに、そうだな……早ければ半年以内に、この国は内戦状態になる。それまでに俺たちは、帝国領を脱しなくてはならない」

レフは一瞬、自分が何を言われたのかわからなかった。やがて言葉を飲み込むと、苦笑交じりに言う。

「いやいや……戦って、何でそンなことがわかるンだ?預言者じゃあるまいし」

すると、カーネルはニッと笑って見せた。
レフは身震いした。これまで何度も見てきた、彼が何かを企んでいる時の仕草だ。そしてその企みの内容は、毎回決まっていた。

「いやいやいや、まさかあンた……冗談だろ?……IGやヴラジの時とはわけが違うンだぞ⁉……大体、今だって追手から逃げるだけで精一杯じゃないか!」

「今はな。だがそれも、日本に着くまでだ」

カーネルは立ち上がり、不敵に笑った。

「『仲間たち』に会うまでだ」



その頃、テルは息切れしながら、街角の雑貨店「ファンラーグ」のカウンターにもたれかかっていた。濡れた黒髪から滴る雨水を見て、店主はカウンターの向こうで露骨に顔をしかめる。

「その……小麦色の服着た丸顔のメガネ?そんなのこの辺にゃ、いくらでもいるからさぁ」

店主はしかめっ面で言った。
テルはふーんと考え、付け加えた。

「あとは長靴みたいな黒い靴を履いてて……狙撃銃を持ってる。消音器付きの……」

「いや、見てないね」

店主は即答した。
テルはそれを聞いて不思議に思った。綺麗好きのジョージがこの雨の中をうろついているとも思えないので、どこかの建物に避難したと思い近くの店を一軒一軒調べているが、この店もハズレのようだ。

「君たちのキャンプに帰ってるんじゃないのか?こんな雨だし」

店主はちらりと窓を見た。雨は止む気配がなく、大粒の雫がガラスに打ち付けている。
テルは訝しんだ。

「なんでキャンプを張ってるってわかる?」

「だって君、どう見てもヴォストーク区の人間じゃないか。この辺をうろつくスラヴ人なんて、行商人と相場が決まってる。そうだろ?」

「あ……あぁ、そうだ」

テルは目を逸らした。自分の身元を知られるわけにはいかない。まだ喋りたげな店主を尻目に、駆け足で出口へと向かう。

「じゃ」

呆然とする店主を背に、テルは急いで店を出た。十字架のついた扉を閉め、壁に張りつく。

(いかん、ちょっと露骨だったか……?)

テルは胸をなでおろし、かじかんだ手を吐息で温めた。身体はすっかり冷え切っており、白い息が手を包む。

雨はひときわ強く降っており、どこからか雷鳴が聞こえた。目の前の霧に包まれた狭い路地は水浸しになっており、干されたままの洗濯物から汚水が滴っている。時折、馬車やトラック、傘をさす人が、忙しく路地の前を行き来した。

〝君たちのキャンプに帰ってるんじゃないのか?こんな雨だし〟

「……」

テルにはそうとも思えなかった。ジョージは会ってから今までずっと、故郷に関する何かを隠しているとテルは薄々感じていた。そしてさっきのただならぬ様子を見るに、雨が降ったからと言って簡単に帰ってくるとも思えなかった。

〝日本は俺の故郷だ。でも帰る気はない〟

そして何より、故郷を捨てられる人間が、あっさり引き返してくるはずがないと思った。
テルは手を擦り合わせ、雨の中へ飛び出した。



「……行ったか」

閑散とした店内で、店主はぼそりと呟いた。そして、カウンターの下に目をやる。

「もう出てきていいぞ。丸顔のメガネくん」

カウンターの下から、ジョージはそっと立ち上がった。濡れた服についたホコリをつまみ取り、狙撃銃を肩にかけ直す。

「メガネが本体みたいな言い方やめて下さい……でも、ありがとうございました」

「いいっていいって。でも、なんで追われてるんだ?」

店主は尋ねた。
ジョージは目を逸らした。自分が誰か、テルが何者か、悟られるわけにはいかない。適当に笑ってやり過ごし、窓際に寄る。外には既にテルの姿はない。エレンの行方を探すなら、もっと人が集まっている所へ行くのがいいだろう。

「いやぁしかし、申し訳ないことをしたなぁ。ヴォストーク区から来た行商人っつったら、『例の連中』の一人だったかもしれんのに……餞別でも渡しときゃよかったかな」

唐突に店主が言った。
ジョージは首をかしげた。

「『例の連中』……?」

すると、店主も首をかしげた。

「なんだ、あんた新聞読まんのか?」

店主はカウンターの収納をガサゴソと漁り、一部の新聞を取り出した。それをジョージに見せる。新聞は、ジョージには見慣れない文字で書かれていた。そのため記事は読めなかったが、新聞の一面に、ドームが崩れた後のヴラジの写真が載っているのが目に映った。

「ヴラジの反乱を起こしたっていう、例の連中さ。こっちじゃ、ちょっとした騒ぎになったんだぜ?」

店主は灰皿の上の無数のタバコから、一番長いものを選びながら言った。
ジョージは目を丸くしながら、新聞に目を走らせた。

「『例の連中』は北からヴラジにやってきたらしい。そして、決して多くはない人数で、ヴラジを蹂躙したそうだ。一説には、北方の民の生き残りだ、なんて風にも言われてる」

店主はタバコにマッチで火をつけながら、流暢に語った。
ジョージは胸が高鳴った。虚実織り交ぜた噂がここ吉林市では流れたらしいが、自分が関わった事がこれだけ大々的に知られていると思うと、なんだか誇らしかった。
すると店主は、細い目を輝かせながらカウンターを叩いた。

「そして何より、この一件には例の『アトミック・ソルジャー』が関わってたって話さ!」

店主は嬉々として語った。

「軍が血眼になって探してたやつだよ!ここ最近報道が途絶えたんで、捕まったんじゃないかって言われてるが、ヴォストーク区から流れてきた噂じゃ、ヴラジを荒らした連中の一人だったらしい。しかも、ストロガノフ市長を討ったのは、こいつだっていうぜ」

最後の一言で、ジョージの顔が強張った。眉を寄せ、奥歯を軋ませる。

「それは……」

それは自分だと訂正してやりたかったが、出かかった言葉を奥歯で噛み砕く。
店主は相変わらずニコニコとしていた。

「……どうかした?」

「いや、その……他に反乱で、噂になった人はいるのかなって……」

ジョージはあくまでも平静に尋ねた。
店主はタバコをすぱすぱ吸いながら考えた。

「あぁ、いるとも!奴らの指導者さ!200厘米は下らない巨漢だって言われてる。こないだスラブヤンカから来た油屋なんかは、そいつを見たって言ってたな。他には……」

店主はまだこの噂について語りたげだったが、ジョージはもう十分だった。意気消沈し、出口へと向かう。
ジョージが店主に一礼してドアノブに手をかけると、背後から店主が呼びかけた。

「君、この街をウロつくなら用心した方がいいよ。特に、こんな雨の日はね」

店主は煙を吐き、タバコを灰皿に擦り付けた。煙は天井の換気扇に吸い込まれ、どこへともなく消える。
ジョージは怪訝な顔をして振り返った。すると、ドア窓がチカチカと光った。
どす黒い雨雲が唸り、離れ山に稲妻が落ちた。



稲妻を運んできた雲の下を、テルは走り続けていた。もはや服は濡れた雑巾のように重くなっている。行けども行けども、目につくのは雨粒だけで、たまに路地を駆けていく人や、小屋根の下で雨宿りする人とすれ違った。

テルはたびたび、物陰に身を潜めなくてはならなかった。正面から見回りの兵や、馬車を引く護送兵などがやってくるのだ。馬車は前後に隊列を引き連れている。よもや、一般人より軍の関係者と遭遇する方が多いくらいだった。

(こんな悪天候の日にまで、軍も大変だな)

テルは建物と建物の間に隠れ、敬礼した。

路地にひと気がなくなったのを見定めると、テルはゴミ箱の裏から飛び出した。狭所に溜まっていたヘドロで全身はすっかり汚れ、特にズボンに染み込んでなかなか落ちなかった。

「あぁ、クソ……」

舌打ちしながらズボンを擦る。すると、またしても空がゴロゴロと鳴りはじめた。これは当分止みそうにもないなと、テルが空をチラと見上げると、路地の先に人影が見えた。
テルは目を見張った。

「ジョージ……?」

レインコートを着た何者かが、行く先に立っている。沸き上がる水蒸気で足元はよく見えなかったが、フードを被っており、背丈はジョージと同じくらいに思えた。

テルはその者の元へ歩を進めた。するとレインコートの者は、それを察知したかのように小走りで駆け出した。角を曲がって死角に入る。

「ジョージ!」

テルは急いでその後を追った。


降りやまぬ雨の中、テルは目にした人影を追い続けた。テルが角を曲がるたびに、人影も先の角を曲がり、不思議と二者の距離は詰まらなかった。

テルは不可解に思い、全力疾走した。元々足には自信がある方だったし、長い地下生活で貧弱だった体も、地上に出てからだいぶ鍛えられたように思えた。にも関わらず、目先の人影にはまるで追いつかない。それどころか、人影は悠々と疲れた様子もなく、小走りで先を行く。

「ジョージ!……なのか……?」

テルは半ば懐疑的になりながら、猛スピードで角を曲がった。すると、何者かと正面衝突し、テルは思わず尻餅をついた。

テルは驚いて顔を上げた。
目の前には、緑色のポンチョを着た背の高い男が仁王立ちしている。腰には拳銃が掛けられ、胸元には、「月のマーク」の刺繍があった。

「ム……?」

兵士は鋭い目で眼下のテルに睨みを利かせた。
テルは体が内側から冷えるのを感じながら、そっと向かう先を見た。

そこは狭い路地で、先は行き止まりだった。路地の奥で10人規模の小隊が簡易テントを張り、焚き火で暖をとっている。そして、そのうち一人がテルに気づき、仲間たちに知らせている。

袋小路に、先ほどの人影は見当たらなかった。



~To be continued~

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