【新世紀黙示録】
(story.30)砦からの銃声
[A.D.2195 / 1 / 18]
砦から銃声が鳴り響いた。朝だ。
吉林市はその日も深い霧に包まれていた。まばらに降る雨の中、カラスたちが街角のゴミ袋や、吊られた死刑囚の目を啄む。そして本格的に降り出す前に、各々の巣に帰っていった。一方、市民たちは目を覚ますと、身支度を済ませ、陰鬱な気分で雨降る霧の街へと出向く。
その頃、街のはずれにある無人のガソリンスタンドにて、損傷したランドクロスはその身を休ませていた。テルのいびきがキャンパーコンテナから響く中、操縦室のカーネルは時計を確認し、装着したヘッドホンのマイクに囁く。
「そろそろ切るぞ」
《あ〜、待ってくれ》
相手の男が言う。
カーネルは旧友の同じ頼みに、いい加減うんざりしていた。
《エレンがさらわれたんだろ?本当に大丈夫なのか?……なんなら私が……》
「結構だ。お前も人をよこす余裕はないだろ」
カーネルは大きなあくびをひとつした。
相手の男はふっふと鼻で笑い、突然まじめくさった声で言った。
《この件、ミューには言わない方がいいな》
「あぁ……そうだな」
カーネルは頰に冷や汗をかいた。
《一応、助け出す算段はあるんだろ?》
「……あぁ。リュウ・ロンの弟子たちに会うことができれば、何かエレンに関する情報を得られるかもしれん」
《リュウ・ロンか……あいつともしばらく会ってないなぁ。再会が待ち遠しいよ》
「どの口が言ってるんだ。……じゃ、もう切るぞ。またな、ジョー」
カーネルはヘッドホンを折りたたみ、目の前の黒いアタッシュケースを閉じた。ケースをダッフルバッグにしまうのも億劫でダッシュボードに放ると、猛烈な眠気が襲ってくる。運転席のうしろにある二段ベットのある小部屋に入ると、倒れるように横になった。
すると、それを見計らったかのように、目覚まし時計が鳴り響く。ベットの下段で熟睡していたレフは起き上がり、目覚まし時計を憎々しげに叩いて鎮めた。でっぷりとした横腹を持ち上げるように立ち上がり、大きく伸びをする。
「じゃ……あとはやっとくから、あンたはしっかり休みな……」
レフは汗と油にまみれたツナギをハンガーから外し、くたびれたTシャツの上にそれを着る。
カーネルは一言、「頼む」と背を向けて言うと、レフが振り返った時にはもう眠りについていた。
レフはツナギのチャックを上げると、どこか不服そうな目でカーネルを見た。そして、コーヒーの豆があと一杯分しか残っていなかったことを思い出すと、そそくさとキャンパーコンテナへと消えていった。
[PM:1:14]
降りしきる雨の中、スラム街の隅にある雑貨店の前に、レインコートを着た少年が立っていた。その雑貨店「ファンラーグ」はちょっとしたレストランも兼ねており、一階の隅にあるテーブル席で、二人の労働者が昼食をとっている。店内は暖かく、窓は湿気で曇っていた。
「……にしても止まないわね」
沈黙に耐えかね、女性労働者が呟いた。
対面する男は黙々と新聞を読み耽っている。
「じゃ、ずーっとここにいればいい。ウチとしても儲かりますから」
カウンターの店主が新聞から顔を上げた。
女はポケットから茶葉が詰まった袋を取り出し、見せびらかした。
「この食事分の対価しかないわよ。それに私らがずーっといたら、次のお客が困るでしょ?」
「来やしませんよ、こんな雨の日に。それに最近は何かと物騒ですからね」
そう言って店主は新聞に目を落とした。
女は唇を尖らせた。男が読書家なのはいつものことだが、今日はやけに熱心に新聞をめくっている。店主も同様だ。
「なによ。面白い記事でもあったの?」
「ないんだよそれが」
男がぼそりと言った。
女は気になって追及したが、夫はそれ以上なにも言わなかったので、店主が補足する。
「ついこの前まで、アトミック・ソルジャー?だか何かの捜索願いが、頻繁に取り沙汰されてたでしょう?それが三日前からぱったり止んです。ラジオでも新聞でも」
店主はラジオをつけた。
しみったれた店内に陽気な音楽が流れる。
女は首をかしげた。
「……捕まったってこと?」
「さぁ?そういう報道もありませんから」
店主は帳簿を持って女に駆け寄った。
そして会計を済ませながら、ぼそりと呟く。
「私が思うには、多額の懸賞金をちょろまかす為に、行政府がアトなんとかの確保を隠蔽したんじゃないかと思うんです」
女は呆れたように笑った。
「笑い事じゃありませんよ。そう言われるお客さん多いんですから。それに、昔も似たようなことがあったでしょう?ほら、二年前の……」
店の扉が軋みながら開いた。
全員が入り口に目を向ける。
レインコートを着た者が入り口に立っている。
顔はフードで見えないが、170cmあるかないかの背丈だ。手には大きな袋を抱えていた。
うすら寒い冷気と雨が、店内に入り込む。
女は息を飲んだ。店主は数歩たじろぎ、男は新聞に目を落としつつ、腰の拳銃に手を触れる。
レインコートの者はひたひたと店内を進み、何かを呟く。
「@-:?:&-……」
店主はポケットのピースメーカーを装着し、恐る恐る尋ねた。
「な、なんでしょう……か?」
すると、レインコートの者はフードを取った。
女と男は顔を見合わせた。そこにあったのは、ごくありふれた十代後半の少年の顔で、慣れない裸眼で店主を探している。やがて、こわばった声でぼそりと呟く。
「あの、新聞と食料をください。あと眼鏡も」
ジョージは持参した袋をカウンターに置いた。衝撃で結び目がほどけ、中に入っていた巨大なバッテリーが露わになった。
ジョージが交易を終えると、雨は少し弱まっていた。しかし、いつ土砂降りになってもおかしくない雲行きだ。
ジョージは店を出ると、手にした物品をファルコンの荷台に載せ、フードをかぶった。そしてチラと、店の壁に貼られた古い手配書を見る。手配書には、レインコートとガスマスクを着けた何者かの人相書きが載っている。
「もうそんな紛らわしい格好するなよ〜〜」
店から出てきた女が、男と傘に入って言った。
ジョージは苦笑いして二人を見送った。ファルコンのエンジンをかけると、雨脚が強まってくる。ジョージは度のあっていないメガネを拭くと、アクセルを踏み込んだ。
ジョージがランドクロスに戻ると、キャンパーコンテナで取っ組み合いが起きていた。
ゴランとテルが転げ回り、せっかく整頓された車内がまた散らかる。
ジョージはマシンルームから顔を出すと、部屋の隅でラビを毛づくろうイリーナに尋ねた。
「……何やってるの?」
「毛づくろい」
「じゃなくてさ」
小馬鹿にするように言うイリーナにイラッとしながら、ジョージは格闘する二人を指差した。
イリーナは顔を上げず、小声で説明した。
「テルさんが、ここにいても仕方ないから先に進もうって言ったの。そしたらゴランが怒ってさ、エレンねぇちゃんを置いてくのか〜って」
ジョージは耳を疑った。そして、取っ組み合う二人を見る。
テルが、ゴランの足首を掴んで逆さ吊りにしている。ゴランは自慢の坊主頭でテルの股間を頭突くが、テルはけろっとしたままだ。
ジョージはテルを睨んだ。
すると、ジョージの存在に気づいたレフが、舌なめずりして操縦室から出てきた。
「お疲れジョージ。ちゃンとメシ買って……」
ジョージは持ち帰った袋を無言でレフに渡した。そしてテルに歩み寄る。
眼鏡を光らせて近づいてくるジョージに、テルはギョッとした。
「エレンを置いていくの?」
ジョージは静かに訊いた。
テルはバツが悪そうにゴランを離した。
「あぁ。ここも長居はできないからな」
ジョージは唇を尖らせた。テルが二の句を継がないうちに口を開く。
「ダメだ。森で長老婆に、エレンに外の世界を見せるように言われたろ?まだ森を出て一週間しか経ってない。エレンを探すべきだ」
「じゃ、どこを探すんだ?」
テルの問いに、ジョージは押し黙った。問題はそこだった。エレンがさらわれてから4日も経ったが、なんの足跡も掴めていない。
ジョージが黙っていると、テルが言った。
「おれだって探せるもんなら探したい。だが、帝国はラジオや新聞まで使って捜査網を張り巡らせていたんだ。そんなやつらが、やっと手にしたエレンを、おれたちの手が届く場所に置いておくとは思えない」
「けど置いてったら、もう会えなくなる!」
ゴランが叫んだ。
すると、イリーナが口を挟んだ。
「ゴラン、アタシはテルさんに賛成よ。あの人たちはテルさんを追ってまた来るわ。それまでに少しでもここから離れた方がいいと思う」
ゴランはイリーナを睨んだ。
イリーナは苦い顔で目をそらす。
思わぬフォローにテルは驚いた。
「とにかく……おれはエレンを見捨てるつもりはない。隙あらば連れ戻す。だが、今はここに留まっていても危ないだけだ。ひとまず日本へ行って、それからエレンの救出を……」
「ダメだって言ってるだろ!!」
ジョージが声を張り上げた。
車内に声が反響し、ラビが驚いて目を覚ます。
操縦室で、カーネルが地図を広げる音がした。
突然血相を変えたジョージに、全員の視線が集まった。
「絶対にダメだ!そんなの、見捨ててるのと一緒じゃないか!……よくそんなこと言えるな。同じ……アトミック・ソルジャーなのに」
ジョージを落ち着かせようとレフが歩み寄った。
すると、テルがいきり立った。
「ジョージ、お前は狙われる心配がないからそんなこと言えるかもしれんが、おれはある。追跡もできないのにここに留まって身を危険に晒すくらいなら……先へ進むべきだ」
「ダメだ!!!」
「ジョージ落ち着け。一体どうしたンだ?」
レフが訊いた。
ジョージは息を荒げていた。
「テル……こんなこと言いたくないけど、君、自分のことしか考えてないよ」
「ほぉ〜」
テルは腕を組んだ。
「じゃ、なんでお前は、おれの刀をエレンから奪った?自分の身を守りたかったからか?」
「テル!」
レフが叫んだが、テルは続けた。
「あれがあれば、エレンは助かったかもしれんのだぞ!」
ジョージは肩に乗っていたレフの手を払った。そして、テルを睨み返す。
テルも負けじと目を尖らせた。
車内がいつにも増して寒くなり、ゴランがあわあわと慌てる中、ジョージは呟いた。
「狙われていたエレンに、直接戦わせるのは危ないと思ったんだ。だから、エレンを守りきれなかったのは俺の責任だ。俺に『力』がなかったからだ!……エレンは俺が探すよ」
ジョージは収納机周辺の荷物をまとめ、リュックに詰めはじめた。
「よせ!一人で行く気か!?」
レフが止めたが、ジョージは構わずリュックを背負った。すたすたと出入り口に詰め寄る。
「みんなは俺に構わず、旅を続けてくれ。俺は……ランドクロスを降りる」
「見つかるわけないだろ!」
「そうだ。無茶はよせ」
テルとレフが言った。ゴランとイリーナも反対する。
しかし皆の説得も虚しく、ジョージはドアノブに手をかけた。
「ジョージ!!」
テルが叫んで、ようやくジョージは動きを止めた。
しばらくのあいだ雨音だけが聞こえ、ジョージがようやく口を利いた時にはランドクロスの入口付近は水浸しになっていた。
「みんなは、日本へ行くんだろう?」
ジョージは背中を向けたまま皆に訊いた。
一同、息を飲み、顔を合わせる。
ジョージの丸みのある顔には、訳ありげな苦渋が滲んでいた。
「日本は俺の故郷だ。でも帰る気はない」
ジョージはそう言い残し、雨の中へと飛び出していった。
レフがドアに駆け寄った時には、ジョージは霧の向こうへ姿を消していた。
「馬鹿げてる……どうするってンだ」
レフは操縦室に駆け込み、カーネルに助言を求めた。
カーネルは運転席に腰掛け、呑気に古地図を読んでいた。
「カーネル、ジョージが行った!どうす……」
「旅の続行は無理だ」
カーネルは即答し、地図を畳んだ。いくつもの皺が刻まれた顔をレフに向ける。
「予備のバッテリーがあるが、ここから空港まで300マイルもある。メインバッテリーがなきゃとても辿り着けない。それが見つかるまでは、このジーリン区に留まるしかない」
レフは何も言わず、うなずいた。
カーネルは眉を寄せ、顎をこすった。この短期間でアンナが抜け、エレンがさらわれ、ジョージが離脱した。更にはランドクロスも不調になり、修理に出そうにも台所事情がボロボロでどうしようもなかった。
「ダメだ……もっと団結しなくては」
カーネルは、ダッシュボードの上に置かれた黒いアタッシュケースを、何となしに触れた。
すると今度は、キャンパーコンテナからゴランの叫びが聞こえた。しきりにテルの名を呼んでいる。
カーネルとレフが同時にため息をついて、キャンパーコンテナに向かうと、テルが外へ出向こうとしていた。
「ジョージを呼び戻すのか?」
カーネルが訊いた。
テルはゴランの手を払い、小さくうなずいた。
「そうか。なら、そのコートは置いて行け」
カーネルは「星のマーク」のコートを指差した。
テルはコートをソファーに脱ぎ捨て、光学刀を腰に差し、ランドクロスを飛び出していった。
テルが消えたのを見届けると、カーネルは操縦室に戻った。レフもそれを追う。
カーネルは運転席に腰かけ、先ほどのアタッシュケースをダッフルバッグに入れようとしていた。レフは神妙な顔でそれを見ている。
「レフ、どうかしたか?」
「ン、いや……」
レフは我に返り、目を泳がせた。
カーネルは不可解な目でそれを見た。
レフは少し前から、カーネルに訊きたいことがあった。しかし、それを訊くのは憚られた。カーネルとの信頼を失いたくなかったからだ。
カーネルは地下にいた頃からの友人で、カーネルが革新派を組織する際にも、最初に声をかけられたのはレフだった。それ以来、レフはカーネルの右腕として働いてきた。その日々は充実しており、二人は相応の信頼を結んできた。
「その……空港の飛行機とやらを使って、日本に渡るンだよな?」
しかし、ここにきて、レフのカーネルへの信頼が揺らぎ始めていた。
カーネルはたまに、皆が寝静まった時間に起きて、誰かと話しているのをレフは知っていた。その誰かと、空港について話している事も。
「それがどうかしたか?」
カーネルが訊き返した。
レフは腹を決めた。
「飛行機ってのは、エレンをさらった連中が使ってたようなのだろ?それなら、とっくに帝国の手中にあるンじゃないか?……第一……」
レフは辺りを見回し、そっと尋ねた。
「一体、誰からそんな情報を得てるンだ?」
カーネルの表情は変わらなかった。
テルは息を切らし、雨の中を走り回った。ジョージはまだそう遠くへは行っていないはずだが、立ち込める霧と雨音で、追跡は困難だった。
次第に雨足は強まり、雷鳴まで聞こえ始める。
(クソッ……どこ行きやがった)
テルは足を止め、息を整えた。
ジョージは帝国に顔が割れている。見つかれば捕まるのは必至だし、そうなればランドクロスの居場所が突き止められるのも、時間の問題だった。
テルは目元を拭い、白い吐息で手を温め、全身を打つ雨の中を進んでいった。
一方、ランドクロスの操縦室は、時が止まったように静かだった。
カーネルは表情こそ変えなかったが、目の色が明らかに変わっていた。一切光沢のない黒い瞳でレフを見ている。
レフは思わず、カーネルから目を背けた。
するとカーネルはフッと笑った。
「そんなの、立ち寄った店や新聞から……」
「違う!」
レフは首を横に振った。そして、下唇を噛む。
カーネルのことは信用していたが、昔から何か隠し事をしているとも、薄々思っていた。それが何かはわからなかったが、この不敵な男が嘘をついてでも隠し通そうとすることが、どうでもいいことの筈はなかった。
「地下からここまで一緒に旅をしてきたンだ。そして今後も、少なくとも日本へ着くまでは共に行動するンだ。隠し事はなしにしてほしい」
旅の仲間として、不審な要素はすべて除いておきたかった。
そんなレフの思いが通じたのか、カーネルはしばらく黙った後、諦めたように一言訊いた。
「何を知りたい?」
レフは息を飲み、そっと訊き返す。
「何を……?」
カーネルは、アタッシュケースを「星の旗」が入ったダッフルバッグの上に放り、そっと立ち上がった。その際、カーネルが隠すこともなく小さく笑うのを、レフは確かに見た。
「俺の目的についてか?それとも『仲間たち』についてか?」
~To be continued~