【新世紀黙示録】
(story.27)南西への旅
[A.D.2195 / 1 / 13]
まもなく昼の12時になろうとしていた。
ジョージは隆々とした荒地の岸壁に立ち、メガネ越しに双眼鏡を覗いた。
目の前に広がる果てしない砂丘には、足跡ひとつついていない。砂漠の真ん中にはヨンギルという寂れたバラックの町があり、そこに痩せ細った人影が見えるくらいだ。ヨンギルの西に目をやると、なぜか霧のようなモヤがかかっている。しかしそこには、ぼんやりと浮かぶ巨大な都市のシルエットと、駐留する帝国軍のヘリが見てとれた。
「ダメだ……動かない」
ジョージは双眼鏡を下ろし、背後の洞穴へと引き返した。
三日前、ヒッピーウッズを出たランドクロスは尾行を恐れて砂漠を横断せず、一旦北の荒地に向かった。それから隠れて西へ進むも、行く手の帝国の網は中々解かれず、いまだ砂漠を越えられずにいた。
洞穴前のすっかり散らかったキャンプでは、ゴランとイリーナが水を奪いあっていた。
ジョージは二人をなだめすかし、洞穴に隠されたランドクロスの扉を開ける。
「ムッ……」
車内にたちこめる匂いに、ジョージは鼻をつむった。キャンパーコンテナの中は暗がりでもわかるほど散らかっており、甘い匂いが漂っている。エレンが持ち込んだハーブが原因かと思われるが、洞穴内ではまともな換気が出来ず匂いが充満している。
そんな車内の一角で、カーネルがエレンのラジオをチューニングしていた。
《……ブ……続いては、指名手配のニュースです。五日前より捜索が続いている、ヴラジの反乱の主犯格とみられる少ね……ブブ……交戦した若い兵士によれば、黒髪で、紺色のコートを着ており、赤い光線を放つ光学銃を所持……》
ラジオからは途切れ途切れに無機質な声が聞こえた。
ジョージは深々とため息をついた。すでにテルの捜査網は、砂漠だけでなくメディアにも広がっているらしい。しかも、ラジオを聴く限りでは、多額の懸賞金までかけられているようだ。エレンに関してもたびたび報じられるが、テルほど正確に人相は伝わっていないようだった。
「どうする?カーネル」
ニュースが一区切りついたところで、レフが壁にもたれかかって訊いた。所々オイルにまみれた灰色のつなぎを着ている。
「水にも限りがある。このままじゃ、ここが見つかるのも時間の問題だ。敵さンも引き上げそうにはないンだろ?」
レフに目配せされ、ジョージはうなずいた。
荒地に身を隠してから三日。森で得た食料は早々に尽きてしまい、一行は残った水を頼りに狩りで食いつないでいた。ヨンギルへ買い物に行こうにも砂漠には人の横行がなく、下手にうろつけば西の歩哨に見つかる危険があった。
「どうする?」
レフに再度訊かれ、カーネルは思慮深げに無精髭をいじった。
一時間後、一行は狩りから帰ったテルとエレンをまじえ、車内で輪になって古地図を囲んでいた。
「ここが、俺たちの目的地だ」
カーネルは地図の真ん中あたりを指差した。
「J,A,P,A,N……ジャパン?」
テルは首をかしげた。その傍で、ジョージがどことなく苦い顔をする。
カーネルはそのまま、指を北に動かした。
「そしてここが、俺たちの現在地だ」
全員が首をかしげた。目的地「JAPAN」へ行くには、海を越える必要があるからだ。
カーネルは続けた。
「ここからずっと南西へ行ったところに、古い空港がある。聞いた話によると、そこにはまだ稼働可能な飛行機が残っているらしい。日本へはそれで行く」
「日本?ってとこには何かあるんですか?」
エレンが手を挙げて訊いた。
カーネルは唸った。
「日本は今のところ、帝国の支配下におかれていない。帝国もまだ島国を攻めるほどの海軍戦力は整っていないんだろう。日本へたどりつければ、一旦は追っ手から逃れられる」
テルとエレンは嬉しそうに顔を見合わせた。
一方、ジョージは首を傾げていた。カーネルには何か別の目的があるように思えたし、第一、どこでそんな情報を仕入れたのか甚だ疑問だった。
カーネルは続けた。
「ただ、空港へ行こうにもこの砂漠を抜けられなければどうしようもない。帝国の網は一向に解かれそうにないし、このまま隠れていても飢え死ぬのがオチだ。決断する必要がある」
「砂漠を強行突破するのか?」
レフが口を挟んだ。
ジョージはぶんぶんと首を振った。
「ほ、他に道はないんですか?何も空港を使わなくても、多少遠回りになってもいいから、帝国の国境の外を迂回していくとか……」
カーネルは腕を組み、無精髭をいじった。
「ものすごく長い旅になるぞ?それに、日本は地理的に帝国に囲まれた場所にある。迂回したところで、結局は帝国領に入ることになる」
一同、黙り込んだ。
先ほどからラビが檻の中で窮屈そうに暴れていたが、話を聞き飽きたイリーナにあやされて静かになった。
カーネルが沈黙を破る。
「早い話、俺たちは帝国の勢力圏を突っ切るしかないってことだ。荒地に隠れたのは俺の判断ミスだ。その上でこんな決断を迫って申し訳ないが、早急にここを出るか決める必要がある」
「姉ちゃんが全部食っちゃうからだぞ……」
ゴランに小突かれ、エレンは赤面した。
「出るにしたって、どうやって敵の目をかいくぐるんだ?」
テルが訊いた。
カーネルは一同の視線を浴び、つきっぱなしのラジオを一瞥した。
[夜]
ヨンギルより西の霧の中に一機のヘリが駐留していた。機内にいる帝国兵が、あくびをしながらラジオのダイヤルを回す。時刻は0時を回り、ジーリン区のローカル番組から、一日の終わりを告げる鐘の音が聴こえた。
兵は飽き飽きしていた。ここ三日間、見たのは周囲に立ち込める霧と、ぼやけた砂丘だけだった。
三日前、東の森へ捜索隊が送られたが、彼らによると既に目標が立ち去った後だったという。ということはこの辺りに潜んでいるはずだと、自分を含むジーリン方面軍 第三航空部隊が、ヴォストーク砂漠に捜査網を敷いていた。しかし、未だ目標らしき人物は見当たらなかった。
兵は盛大にあくびをした。大陸の三分の一を支配する帝国ともあろうものが、なぜ一人の少年にそこまでこだわるのか。まるでわからなかったが、ここでダラけているだけで給料が貰えるのは有難かった。
(確保に成功すれば多額の懸賞金がおりるらしいが、目標のガキはとっくに砂漠を越えて遥か彼方だろう。アホらしい……)
兵は薄汚れたヘリのコックピットシートにもたれかかり、うたた寝しようとした。
その時、夜風を切り裂くような鋭い音とともに、砂漠の果てが明るくなった。
兵は身を乗り出し、目を凝らした。
「あれは……」
コックピットの無線が鳴り響いた。
遥か彼方のヨンギルから赤い光が放たれ、闇夜の空に一本の柱となって伸びていた。
霧の中から数機のヘリが飛翔し、ヨンギルへと向かう。
雲が月を隠した時、ランドクロスは勢いよく洞穴を飛び出した。荒地を抜け出し、砂漠へと突入する。車体後部のトンボを下ろして轍を消しつつ、一目散に南西へと走った。
暗い車内では、各々が揺られながら武器を手にしていた。
ジョージは旧式の狙撃銃を握りしめ、歯を食いしばって腕の震えを誤魔化していた。
「……ジョージ?」
隣のエレンが囁いた。
ジョージは息を止めた。
「なんてことない。ただの武者震いさ」
そう言って目を閉じ、意味もなく銃のカートリッジを付け外しする。
エレンは気を遣ってか何も言わなかったが、ジョージにはそれがかえって気まずかった。
「む……武者震いって?」
張り詰めた沈黙に耐え切れず、ゴランが近寄ってきた。
「怖がるのとどう違うの?」
イリーナはラビの鳥籠を抱えつつ、遠目でニヤッと笑っていた。しかし、その表情には硬さがあった。
ジョージは勢いよくカートリッジを銃に差し込んだ。無言で立ち上がり、ゴランを一瞥する。
「いいか、ヴラジでストロガノフを撃ったのは俺だ。500メートル先からだ!何が来ようと、俺がランドクロスに近づけさせやしない!」
ジョージは口を尖らせ、エレンに背を向けた。何だか急に恥ずかしさがこみ上げてきた。
夜風を切り裂くプロペラの音で、ヨンギルの住民たちは目を覚ました。わずかに窓を開き、長い砂漠生活で充血した目を覗かせる。
町の四方に帝国のヘリが着陸し、武装した兵たちが乗り込んでくるところだった。
突然のよそ者の来訪に、住民たちはバラックの戸を固く閉ざした。
痩せこけた砂と鉄錆の町を、兵たちは縦横無尽に駆け巡った。しばらくして、笛の音が町全体に響き渡り、やがて全兵が町の中央にある古ぼけたガレージに集結した。
ガレージでは、ボロ衣をまとった何者かが、小さな男の胸ぐらを掴んでいた。
小さな男は五歳児ほどの背丈しかなく、それでいて顔つきは中年ほどに見えた。宙に浮いた足をパタパタと動かしている。
「誰だ!?」
第三航空部隊の部隊長が銃を構えて叫んだ。
すると、ボロ衣の者はそっと背後を振り返った。その特徴的な白髪と褐色肌に、兵たちは息を飲む。
「シ……シルバ……少尉!」
シルバの鋭い目がよそに向いているのを見計らい、小人男は腰のあるものをまさぐった。
シルバは即座に懐からハンドガンを取り出し、男の手元に撃ち込む。
男の手から拳銃大の光学銃が離れ、地面を滑る。
男はぼとりと地面に落ち、痺れた腕を抱えてのたうちまわった。
「少尉!これはどういうことだ⁉︎説明しろ!」
部隊長が歩み出た。
シルバはすっかり痩せ衰えており、元々角ばっていた顔の彫りが、より濃くなっている。深くえぐられたような眼窩の瞳は、ジッと男を捉えて離さない。
「クッソ……!何なんだよテメェら」
男は息も絶え絶えに呻いた。
すると、シルバは男の胸ぐらを掴み、再び男を宙吊りにした。三日ほど何も食べておらずイラついていた。
「紛らわしいことしやがって……貴様こそ誰だ⁉︎その光学銃、どこで手に入れた⁉︎」
シルバの剣幕に圧倒され、男は痛みなど吹っ飛んだかのように慌てて説明した。
「ひ、昼頃……レフとかいうトライクに乗った男が来て……『これ』を二日分の食料と交換してくれって言われたんだよ!」
男は取り落とした光学銃を指差した。
部隊長は首を傾げた。赤いレーザーの光学銃は希少品で、一般に出回ることは滅多にない。首都のコレクターの中には、半年は遊んで暮らせるような大枚をはたく者さえいるくらいだ。それをたった二日分の食料と交換したのは奇妙だったし、なぜわざわざ、この男が空に撃ったのかも疑問だった。それを男に尋ねる。
「そんなこと俺が訊きてぇよ!交換の時、夜中の0時に空に一発撃ちこむことを条件にって言われたんだよ!やらねぇと、また来るぞって」
兵たちは顔を見合わせた。これまた奇妙な話だった。帰らせろと騒ぐ男をよそに、ひそひそと囁き合う。
部隊長はシルバと目を合わせ、そっと尋ねた。
「そのレフという男は……」
その時、またしても空が明るくなった。
兵たちが背後を振り向く。
部隊長の質問は、どこかから聞こえる風を切るような音と、兵たちの騒めきにより掻き消されてしまった。
部隊長が元来た方へ振り返ると、一本の赤い光線が、西の空を貫いていた。
~To be continued~