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(story.22)2183年

エレンは身構え、頬に汗を滴らせた。大筋は森のざわめきを見てなんとなく想像できた。

交渉は決裂した。

はるか後方の灯台には子どもたちが囚われている。なんとしても、ここでライカを止めなくてはならない。

「シリウス、村に行ってババ様に伝えて」

エレンの足元にはシリウスがいた。エレンをここまで案内したのだ。
シリウスは指示にためらったが、やがて歩き出した。

すると、ライカの手元の光学銃から光が放たれた。赤い光線がシリウスの足元の土を抉る。
シリウスは思わず立ち止まった。

「人間はじきにいなくなル。オマエもオマエの兄も、森に帰ラなくてはならナイ。もう人間の言うコトなど聞くナ」

シリウスは萎縮した。エレンとライカ、どちらの言うことを聞くべきか戸惑い立ち尽くす。

「あなたが森の長?」

エレンが一歩踏み出し訊いた。
ライカはなおも光学銃を下ろさない。

「だったらどうすル?ワシに、クリーチャーたちの殺戮ヲやめさせるよう乞うカ?」

錆びた声に殺気が混ざり、底知れない威圧感がする。
エレンは引き下がらなかった。
ライカは引き金に指をかけた。赤い光線がエレンの顔すれすれに発生し、耳がわずかに欠ける。山吹色の髪がチリチリとなびいた。

「もう一度言うゾ人間よ、ワシの前から去れ。ワシは今、気ガ立っていル。白狼が側にいようとタダでは–––––––––」

ライカは口をつぐんだ。生涯で初めて見る光景が目の前にはあった。

エレンが–––––人間が跪いている。

生まれてこのかた、人間が自分に屈したことはなかった。どれだけ力を見せつけようと、人間は必ず歯向かってきた。人間は絶対に、人間以外の生き物に屈しない。
ライカのそんな常識が、今覆された。



一方、人間村には冷たい風が吹き抜けていた。広場では焚き火がパチパチと燃え、テルとジョージ、それに長老婆がその前に座り、暖をとっている。

「じゃあ、エレンはこの村の出身じゃないんですか?」

ジョージが長老婆に尋ねた。
『聖域』までの不整地を歩こうと体力的に問題なかった長老婆も、突然の森との別れは精神的に堪えているようだった。くたびれた表情で力なくうなずく。

「あの子が来たのはわりと最近のことだよ。ほんの12年前さ」

長老婆は薪を火の中に放り投げた。

(12年前、おれがIGに入った時期と同じだ)

テルは思った。
長老婆はポイポイと薪を放り投げるうちに、自分の杖まで投げ込もうとしたので、ジョージがそれを止めた。
長老婆は小さくため息をついた。

「エレンはね、ミューと一緒に、突然この村に現れたんだ。……興味あるかい?」

テルとジョージは同時にうなずいた。

「そうかい。じゃあ一つ、この村を離れる前に昔話をしてあげよう」

長老婆の瞳には、轟々と燃える炎が映っていた。かつての出来事を思い出すように、長老婆はそっと語り出した。



[A.D.2183 / 9 / 3]

その夜、ヒッピーウッズの樹々には、オレンジ色の光と忙しく動く人影が踊っていた。
とある民家で火災が起きたのだ。
民家は巨大樹の根元に建てられており、今にも樹に燃え移りそうだ。そうなれば最後、たちまち山火事になり一巻の終わりだ。

村人たちは、各家のタンクから水を絞り出して消火に努めた。

長老婆は、村の門付近に建つ空き家に向かっていた。
空き家は物置として使われており、主に医療品が保管されている。火元から運び出した女の子が大火傷を負っており、軟膏が必要だった。

丘を駆け上がり木で急造した扉を開けようとした時、長老婆は村の門に目を走らせた。

門の外側に人影が見える。
暗くてよく見えないが、今塀の外にいるということは村人ではない。
長老婆は自分の目を疑った。外部の人間が クリーチャーはびこる森を通り抜け、村まで辿り着くなど不可能なはずだった。


長老婆は急いで門を開けた。
そして愕然とした。

目の前には二人の女が立っていた。
片方は大人で、息を切らし、着ている白衣の右袖を返り血に染めている。
もう片方は5歳前後の子どもで、白衣の女の左手を握りしめていた。

長老婆の目を引いたのは白衣の女の方だったが、気を引いたのは子どもの方だった。

子どもは指を咥え、ジッと長老婆を見ている。息切れしている女とは対照的に機械のように静かで、透き通るような白い目をしていた。その子どもらしからぬ雰囲気が、長年森で暮らしてきた長老婆の勘に、何かを訴える。

「お願いします!」

女は汚れた右手で頬の汗を拭い、息も絶え絶えに叫んだ。

「あたしたちをここに居させて下さい!せめて……この子が大きくなるまで!」



その後、火はなんとか消し止められた。
運び出された女の子の火傷は村人たちの手に負えなかったが、白衣の女が見事な手腕で治療してみせた。

来るものは拒まずが人間村の原則である。二人は村人として暖かく迎えられた。
女は「ミュー」と名乗り、村に欠けていた医者として、丘の空き家を提供された。
白眼の子どもは「エレン」と呼ばれ、ミューと共に暮らした。



二人が森に住み着いてしばらく経った。

あくる日、ミューはバスケットを引っさげ、ウッドストック農場に向かっていた。空いている方の手には、エレンの小さな手が握られている。
エレンの瞳は相変わらず、混じり気のない白だった。

二人は農場の門をくぐり、畑を通り抜け、奥にある館の玄関を叩いた。鍵はかかっていないのだが、外の世界の習慣がまだ抜けていなかった。
しばらくすると、若い女が顔を出した。

「あら、勝手に上がってくれて構わないのに」

その女は、丸いふくよかな顔で微笑んだ。長い金髪を毛先で結び、左肩に流している。すると、館の二階からドタバタと誰かが下りてきた。

「あらピョートル、ナターシャちゃんは?」

金髪の女は息子に聞いた。
ピョートルは「何してるの?」どうでもいい質問をしながら、何気なく母に駆け寄った。
ピョートルを追うように、二階から幼い女の子が下りてくる。母の足に隠れてエレンを見る幼馴染に、女の子は火傷の跡がある頬を膨らませた。

ミューは気まずそうに、金髪の女にバスケットを見せた。

「ごめんなさいミーシャ。またエレンが全部食べちゃって……何か余り物があれば戴けないかしら」

ミーシャと呼ばれた女は、申し訳なさそうに肩をすくめた。

「ごめんなさいミュー。そろそろ貯蓄が厳しくなってきて……ごめんなさい」

ミューは「こちらこそ」と謝った。諦めて帰ろうとした時、ミーシャが呼び止めた。

「ねぇミュー、明日ウチの夫が狩りに行くんだけど、一緒に行ってみたら?」



「狩りだってさ、エレン」

その晩、ミューは食卓につきながらエレンに言った。

ヒッピーウッズでは、男が狩りで肉を手に入れ、女が畑で農作物を育てるのが一般的である。
ミューに配偶者はいない。よって肉を得るには自ら狩りに行く必要があった。

エレンは今しがた運ばれてきたわずかな料理に夢中で、反応がない。
ミューは見かねて、エレンの手を止めた。

「エレン、ババ様に言われたでしょ?ちゃんとお祈りしてから食べなさい」

「なんで?」

エレンは屈託のない表情で訊いた。
ミューは返答に困った。

「なんでってそりゃあ……食材はあたしたちの為に死ぬわけでしょ?死ぬのは怖いし……とても哀しいからよ」

エレンは合掌し、祈りを捧げ、すぐに料理にありついた。
ミューは不安気に、無表情でスープを口に運ぶエレンを見つめていた。



後日、ミューはボウガンを持って診療所を出た。村の門には狩りに出る男たちが5、6人ほど集まっている。男衆を率いるのは、ミーシャの夫 アイザックだ。

「ん、ドクターか。これで全員かな?」

アイザックは一同を見渡した。
ミューは慣れない手つきでボウガンを背負い、男衆に合流する。
一同はリヤカーを引いて、森へ出発した。


森を渡り歩く最中、ミューは神経を研ぎ澄ませていた。いつクリーチャーに襲われてもいいよう、半径10メートル以内に気を張る。それだけに、背後で絶え間なくおしゃべりする男たちが癇に障った。

「ねぇ、森をうろつくのは危険じゃないの?」

ミューは隣のアイザックに訊いた。アイザックは自分以外で唯一、狩人らしく黙っていた。

「彼らは毎回あんな感じさ。私が同行してる時はね。信頼してくれてるのさ」

「?……どういう–––––」

その時、近くの茂みから物音がした。
まだ村を出て3分も経っていなかった。気を抜いていた男たちは、こんなに早くクリーチャーと遭遇すると思っていなかったらしくギョッとする。
アイザックはすぐさま反応し、持っていた小型拳銃を茂みに向けた。そして唖然とした。

茂みの前に、車のタイヤほどある巨大な鼠が倒れている。鼠の脳天には矢が突き刺さっていた。
アイザックは驚いて、隣でボウガンに矢を装填しているミューを見た。


「私は、あなたと同じで外から来た人間だ」

しばらく経った頃、アイザックが出し抜けに言った。
ミューは無視して周囲を警戒し続けた。

「今は長老一族の婿におさまってるが、ここへ来る前は帝国軍にいた。この光学兵器もその時、手にした物だ。大抵のクリーチャーを相手にできる代物さ。弾数が心許ないのが玉にキズだが……」

「元兵士が聞いて呆れる。愛銃自慢なら塀の中で頼むよ」

ミューの言いぐさに、アイザックはムスッとした。


その後も様々なクリーチャーと遭遇した。
先ほどの巨大鼠など可愛いもので、全身毛むくじゃらの三つ目の豚、双頭の蛇、極めつけはダニを巨大化させたような虫の蚊柱など、森はイビツな生き物たちの宝庫だった。
そしてそのほとんどが、ミューたちを見つけ次第襲いかかってきた。そのたびミューとアイザックで対応し、かえって男衆を安心させてしまった。

一息ついた頃、アイザックが息を切らしながら訊いた。

「Dr.ミュー……あなた、タダの医者じゃないな?ここへ来る前は何をしていた?」

「あんたにゃ関係ないだろ」

ミューは相変わらずそっけなかった。しかしその男勝りな気の強さが、アイザックには頼もしかった。

「やはりこの時代、医者とて自分の身くらい自分で守れなきゃ駄目ってことか?」

「……」

ミューは目を細めた。

「変わりゃしないよ。今も昔も」


その後もクリーチャーの襲撃は続いたが、なんとかミューたちは歩みを進めた。それなりの数を狩ったのだが、食せるクリーチャーというのはそういないらしく、リヤカーは軽いままだった。

そうこうしているうちに、開けた場所に着いた。ここがアイザックの目的地のようだ。
目の前には巨大樹が生えた古い研究所があった。数年後に『聖域』と呼ばれる場所である。
アイザックいわく、ここが森一番の狩り場らしい。どういうわけか研究所の付近には鳥類や昆虫などボウガンで対処できる小型のクリーチャーが集まり、大型のものは研究所から離れる習性があるようだ。

「ここからは効率よく狩れるよう、二人一組で行動する。自分の分が狩れたら、ここで待機してるんだ!」

アイザックの一声で一行は離散した。
ミューはアイザックと共に行動した。

「それにしても、連中はなんであたしらを見つけると襲ってくるのかね?」

ミューはふと疑問に思った。
アイザックはウンウンとうなずいた。

「まったくだ。狩る気のないやつまで狩らにゃいかん……誰かが裏で操ってるのかもな」

「操る?」

ミューは眉をひそめた。

「そうだ。狩りを続けていくとわかるが、この森のクリーチャーは外界のそれと違い、どこか統率がとれている気がするんだ。森の長か何かがいるのかもな……おっ!」

アイザックは小型拳銃をローブの中にしまい、背負っていたボウガンを構えた。樹上に狙いを定め、引き金を引く。すると、鳥が一羽落ちてきた。

子猫ほどのサイズの鳥で、矢は首に刺さっていた。
アイザックは射止めた鳥に駆け寄り、何やら祈りを捧げた。祈りは手早く終わり、虫の息だった鳥にとどめを刺す。

「まぁこんな感じで、このエリアではそう苦労しない。だが一つだけ留意すべきことがある。ここが狩り場として快適なのは人間だけじゃないってことだ」

アイザックは持ってきた皮袋に鳥を詰めながら言った。ミューは首をかしげた。

「この辺りに大型はいないんじゃないのかい?」

「大型ではないが、白狼がたまにこの辺をうろついている。群れからはぐれたか、馴染めず孤立したんだろうな。一匹狼ってやつだ」

「そんなのがいるのに、他の連中と一緒にいなくていいのかい?」

アイザックはうなずいた。

「そいつは不思議なやつでな、他のクリーチャーと違って人を襲わないんだ。近づいても平気なくらいだ。人間に危害を加えたらヤバイってことを、本能的に理解してるんだろうな。賢いやつさ」


狩りは順調に進んだ。皮袋がいっぱいになったところで、二人は研究所に引き返した。

その道中、見晴らしのいい林道を歩いていると、向かう先の木陰から何かが歩いてきた。
二人はすぐさま武器を構えたが、目標を視認した途端、撃つのをためらった。
目の前には一匹の白狼がいた。しかし、ミューが想像していたよりもはるかに小さい。子猫ほどの大きさしかなかった。

「これかい?白狼ってのは」

アイザックは首を横に振った。

「いや、こいつは初めて見た。前見たやつの子どもか……?身籠ってたのか」

すると、白狼の方からこちらに歩み寄ってきた。とくに害はなさそうなのでミューは抱き上げようとしたが、アイザックがそれを止めた。

「ダメだ。可愛いのはわかるが懐かれたらどうする。人間とクリーチャーは必要以上に関わっちゃいけない」

「べ、別に可愛いなんて思っちゃいないよ!」

ミューは頬を赤らめ、立ち上がった。

その時、どこからか悲鳴が聞こえた。
研究所の方である。二人は顔を見合わせ、白狼をその場において立ち去った。


研究所には、既に6人の男たちが帰ってきていた。悲鳴を聞きつけ、ミューたち以外も研究所に戻ってくる。

研究所の前には皮袋が複数載せられたリヤカーと、その横で呻きながら寝込む男、全身を矢で撃たれ死んだ大きな白狼がいた。
その脇で、子狼が男たちに唸っていた。

「何があった!?」

アイザックが駆け寄り、事情を聞く。
男衆が言うには、ここで待機していたら白狼と遭遇し、獲物を一羽やろうと近寄ったら襲われたとのことだった。

「子連れで気が立ってたんだろう。ひょっとするとさっきの子どもを探してたのかもね」

ミューは倒れている男の容態を見ながら言った。右足に生々しい咬み傷があり、思ったより深い。歩くのは無理そうだ。

すると、アイザックが子狼にボウガンを向けた。

「かわいそうだが、こいつはここで殺さなきゃならない。人を恨んだまま大きくなられては困るからな」

「そんなことやってる場合じゃないよ!早いとこ怪我人を診療所まで運ばないと!」

ミューが叫んだ。

「誰かリヤカーに怪我人を乗せて運んでちょうだい!溢れた荷物はそれ以外のやつで運ぶ!アイザックは自慢の銃で護衛についてちょうだい!」

ミューの畳み掛けるような指示に男たちは圧倒され、すぐさま従った。
ミューは男たちを村へ追い立てると、自分も皮袋を持って立ち去ろうとした。

その時、背後で弱々しい声がした。
親の亡骸の前で唸り続ける子狼に、先ほどの子狼が歩み寄ってくる。突然の出来事に何が起きたのか把握できてないようだ。

子どもだけでこの森を生き抜くことはできない。置いていっても近々餓死するだろうとミューは思った。
同時に食事中のエレンのことを思った。エレンは、あのスープに入っていた肉が、生きていたものだと知らない。

ミューの中で様々な思いが交錯した。そしてついに、ミューは皮袋を開いて二匹の白狼を中に詰めるのだった。



ミューはなんとかバレずに二匹を連れ帰った。こっそり診療所の二階で育てようとしたが、事はそう上手くいかなかった。勝手に食料の貯蓄を漁ったり、屋外をうろつこうとする白狼兄弟とエレンはミューの手に負えず、隠し子二匹は二日と経たず長老婆にその存在を知られた。

「全く……何考えとるんだね!」

長老婆はミューに怒鳴った。
周囲には人だかりができている。
ミューはぶたれた頬を撫でながら謝ったが、長老婆の怒りはおさまらなかった。ため息をつき、ミューの背後でエレンにじゃれついている白狼二匹を見る。

「この兄弟はもう森に帰れない。『人間とクリーチャーは互いの領土に踏み入ってはならない』……その鉄則を破った。森で餓死するのが自然の摂理だったのさ」

「では、どうすれば」

ミューは小声で訊いた。
長老婆は深々とため息をついた。

「責任持って育てるしかないね。それが森への敬意ってもんだ」


かくして二匹は村に住み着いた。
二匹は兄弟でも性格がまるで違っており、大人しい方はシリウス、人に懐かない方はシベリアと名付けられた。

エレンに加えて二匹を世話するのはミューには堪えたが、悪いことばかりではなかった。
どういうわけか、無表情だったエレンが表情豊かになり始めたのだ。それに伴い、白かった瞳にも色がついた。比喩ではなく、文字通り色が付いたのだ。



それから5年の月日が流れた。

季節は巡り、エレンの瞳は透き通るような栗色になっていた。性格もすっかり明るくなり、村を訪れた当初とは別人だった。

その頃からだろうか、エレンは村の生活にも慣れ、外の世界に興味を持つようになった。
たびたび白狼兄弟を連れては塀の中を抜け出した。それを村の子どもたちは、特にピョートルは羨ましそうに見ていたが、大人たちは気が気でなく、初めは総出で探し回った。
しかしどういうわけか、エレンは毎回無傷で帰ってきた。

そんなことを繰り返すうちに村人たちは、「クリーチャーと共にいれば襲われないのではないか」という憶測を立てた。検証した結果その通りだったのだが、長老婆はそれだけではないと内心思っていた。

人間が塀の外を歩くという行為は、森の鉄則に反している。にも関わらずエレンが襲われないのは、エレンが村人たちとは違う「何か」を持っているからではないかと、長老婆は思った。初めて会った時に感じた、クリーチャーに通ずる「何か」を。


エレンが村を出たがるのは、単に外界への興味からだけではなかった。村で唯一の同年代の女の子 ナターシャとは昔から気が合わなかったのだ。そんなこともあって、エレンはよく外に出かけた。

ある日、エレンはヒッピーウッズと砂漠の境に人が倒れているのを見つけた。帝国を脱し、新天地を求める放浪者の集団だった。

森は放浪者たちを受け入れ、閉鎖された村に大量の『ピースメーカー』と外界の知識をもたらした。放浪者の一人が、礼と称してエレンに古いラジオを譲った。木製の、ところどころウルシ塗りの剥がれた骨董品である。

エレンは夜な夜な、ミューが寝付くと二階の自室で星を眺めながらこれを聴いた。ラジオパーソナリティーが自分とは違う言語を話すのでニュースは聞けなかったが、音楽だけは楽しめた。エレンの外界に対する興味は、次第に強まっていった。


「なんで森から出ちゃいけないの?」


ある日、エレンは長老婆に聞いてみた。長老婆は農場の館で編み物をしていた。近くでピョートルとナターシャが真似をして遊んでいる。
長老婆は「大きくなったら森を出てもいいんだよ」と柔和に言った。
エレンはイマイチ納得がいかず、ピョートルにも聞いてみた。ピョートルはしどろもどろしながら何か答えたが、エレンには聞き取れなかった。
すると、一緒にいたナターシャが言った。

「そんなのドクターに聞けばいいじゃん。何でピョートルに聞くのさ」

「もう聞いた。でも答えてくれなくて」

「フゥン……」

ナターシャはどうでもよさげに編み物を再開した。

「あんたが本当の子どもじゃないから、教えてくンないんじゃない?」

すると、長老婆が勢いよく立ち上がり、ナターシャに歩み寄って頬を引っ叩いた。ナターシャは衝撃で吹っ飛び、ソファーに激突して泣き出した。
ピョートルは青ざめた顔で、エレンは灰色の目で、一部始終を見ていた。


その日の晩、エレンは食卓で、もう一度ミューに質問してみた。
ミューは前回同様、「長老婆に聞きなさい」と他人事のように言った。
エレンはスプーンを置いた。口をモゴモゴ動かし、ずっと噛み殺していた疑問を吐き出す。

「お母さんは……本当の親じゃないの?」

「!」

「だから教えてくれないの……?」

ミューは身を乗り出し、机を挟んで向かい側にいるエレンをぶった。
皿をがっついていたシリウスが驚愕して顔を上げる。
エレンはこれで確信した。ぶたれた頬を抑えながら、声を絞り出す。

「やっぱり……」

「……ッ!?」

エレンの瞳を見てミューの顔色が急変した。部屋から飛び出そうとするエレンを捕まえ、診療室に連れ込む。

「やだ!放して!!」

ミューは暴れるエレンを右手で押さえつけ、棚から「葉っぱ」を一枚取り出し、強引にエレンに吸わせた。途端にエレンは大人しくなった。言われるがまま何かの薬を一錠飲み、ぐっすりと寝込む。

「ごめんよ、エレン」

ミューは息を切らし、折れた右腕を抱えた。


これ以降、エレンはハーブの詰まった袋を持ち歩くようになり、ミューのことを「お母さん」とは呼ばなくなった。

小型クリーチャーが村に疫病をもたらし、ミーシャを失ったアイザックが『エデン教会』を立ち上げるのは、これから半年後のことである。



[A.D.2195 / 1 / 10]

テルとジョージは食い入るように長老婆の話を聞いていた。
テルは途中で眠くなっていたが、最後のくだりに気を引かれた。
ジョージは、後で日記にメモろうと思った。

「じゃあ……村を出るのは、エレンにとって必ずしも嫌なことではないんですね?」

ジョージが聞いた。
長老婆は話し終わった後、ほとんど無意識に薪を焚き火に放り込んでいた。

「どうだかね……二度と故郷に帰れなくなるわけだから嫌な要素の方が多いよ。あの子にとっても、わたしらにとっても。君もそろそろ故郷が恋しくなってるんじゃないかな?」

長老婆はジョージに訊いた。
複雑な顔をしていたジョージは、とっさに首を振った。

「とんでもない!全然大丈夫ですよ。あんなとこ帰らなくても……テルはどうなの?」

ジョージは急いで話を振った。
テルは無表情で、火に土を投げていた。

「捨てた」

「え?」

「自分から捨てた。正確には捨てることに加担した。だからもう後戻りする気はない」

テルは仰向けに寝そべった。瞳には目の前の炎が映っている。
すると、長老婆が柔和に言った。

「イワーノフグラードだね。明日から、わたしらの家になるよ」

「え?」

目を丸くするテルに、長老婆はフッフと微笑した。

「カーネルさんの計らいでね、わたし含め村人の3割は地下へ行くことになった。アイザックの一派は帝国に渡るらしい」

「じゃあエレンも地下へ?」

ジョージは聞いた。
長老婆は苦笑いした。

「そう思ったんだけどね、やめた」

「え?」

「強引に連れて行くのはやめた。空の下にあるこの村でさえ窮屈に感じたあの子が、地下で満足するはずがない」

テルはウンウンとうなずいた。
すると長老婆は正座し、テルとジョージに向き直った

「ミューがなんて言うかわからないけど……もしエレンが本心を打ち明けたら、わたしは一つ、君たちに頼みたいことがある」

今や、長老婆の細かった目は見開かれ、輝く瞳を覗かせていた。その瞳には、揺るがない決意が宿っていた。

「あの子を連れ出してくれないか?君たちの旅に」



~To be continued~

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