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(story.21)そして鳥は鳴かず

[A.D.2195 / 1 / 8]

大連帝国にはおよそ6つの植民地がある。
そのうちの一つ、ジーリン区。ヴォストーク区の西隣りに位置するこの区は、閉鎖されたヴラジに代わりヴォストーク区の管轄を担っている。

その区都 吉林市の高層ビルにて、大連帝国ジーリン方面軍司令 チェン・ジエは、プレジデントデスクに腰掛け、夢中で口紅を塗っていた。

「フンフフンフフ〜〜ン♬」

鼻歌交じりに手鏡を見る。いかつい顔には到底似合わない光沢する唇に、本人は満足気な笑みを浮かべた。

「またそのような事をされているのですか」

秘書官が扉を開け、チェンの前までやってきた。廊下から別の足音もする。

「チカロフ中尉以下3名が到着しました。司令としての威厳をお見せください」

チェンは手鏡を置き、司令室の入り口に目をやった。

「そうねぇ……本国への栄転はお預けみたいだし、もうしばらくここに留まる以上、ここでビシッとしとかないと……ねぇ?」

入り口にはグレゴリー・チカロフ中尉とその部下二人が敬礼しながら立っていた。
チカロフは敬礼こそ立派だったが、顔がこわばりこの世の終わりのような表情をしていた。やがて、わなわなと口を開く。

「し、司令……本日はお日柄もよく……」

「前置きはいいからさっさと報告してちょうだい。作戦は成功したの?どうなの?」

チェンはばっさりと言った。
チカロフは歯を鳴らして唾を飲み、ようやく腹を決めた。

「も……申し訳ありません!任務は失敗に終わりました!!スラブヤンカでの補給中、襲撃に遭い……第二航空部隊は全滅しました!!逃亡した『アトミック・ソルジャー』の行方もわかっておりません!」

チカロフは死を覚悟した。普通なら任務が失敗しても司令官の信頼を失い降格する程度だが、今回は失敗が許されぬ任務だった。
チェンはため息をつき、頭を抱えた。チカロフを上目で見る。

「まぁ……大体のことは伝わってるわ。ずいぶん到着が遅れたけど、アトミック・ソルジャーの行方を探してたのかしら?」

「ハッ!そうであります!」

「ならどうなの?どこへ逃げたか目星はついてるの?」

チカロフは目を泳がせた。隣の副官と顔を見合わせ、チェンに報告する。
それを聞いたチェンは目を丸くした。

「ほぉ……あの森にねぇ」

「ヴォストーク砂漠に足跡が見つかりました。それを追うように伸びるキャタピラの轍も。杞憂かもしれませんが……我々以外にも目標を狙う者がいる可能性があります」

チェンはしばらく唸り、やがて決断した。

「まぁいい……丁度いい機会だわ。前々からあの森には興味があったし、目標の他にも何か得られるものがあるかもね」

すると、チカロフの副官が口を挟んだ。

「司令、あの森にはクリーチャーの壁があります。我々の通常装備では突破できません」

「そうなのよねぇ。光学兵器がそれなりにあれば何とかなるんだけど……まぁ何にせよ、目標の位置はわかってるんだから見張りくらいはつけないとね。それを『捕獲部隊』の初任務にしましょ」

「捕獲部隊?」

チカロフは首をかしげた。
すると、誰かが扉をノックした。
チェンは「丁度いいところに」と入室を許可した。

「シルバ・サルマーン・アブラハム通信兵、只今到着しました」

白髪の少年は立派な敬礼をしてみせた。
訝るチカロフたちに、チェンが説明する。

「ヴラジでのアトミック・ソルジャー捕獲において最も貢献した子よ。身を呈して目標を引きつけ、捕獲成功に結びつけたの」

「ついでにションベン漏らしてな……」

ずっと黙っていた三人目の兵が呟いた。兵はニヤリとシルバを見たが、シルバは全く意に介さなかった。
チェンは話を続けた。

「彼を呼んだのは、今回新しく編成する『アトミック・ソルジャー捕獲部隊』の小隊長に任命する為よ」

チカロフは目を丸くした。

「隊長⁉︎軍歴たった数ヶ月の若輩が隊長ですか?」

「えぇ。チカロフ中尉は今後上等兵として、シルバ通信兵……じゃなく少尉の部下として動いてもらうわ。しっかり働いて汚名返上してちょうだいね」

チカロフは、降格だけで済んで喜ぶべきか、はるかに歳下の子どもの部下になることを憂うべきか、複雑な顔をした。

「まぁ予定通りなら五体満足ではいさせないところだけど、逃亡せずにワタシの前まで出向いたことだけは評価するわ。ワタシ正直者は好きよ」

 

チカロフは縮み上がった。
チェンは「隊員は追って伝える」と言い、チカロフたちを退室させた。
扉をくぐる際、シルバは背後に視線を感じ振り返った。背後ではチェンがシルバの白髪と角ばった輪郭を見つめていた。
シルバはチェンのような東洋人でもなければ、チカロフのようなスラヴ人でもない、はるか西方の民族だった。

「期待してるわよ」

チェンは、どこかシルバにシンパシーを感じるのだった。



[A.D.2195 / 1 / 10 ヒッピーウッズ]

日付が変わった。午前零時丁度、ヒッピーウッズには暗い影が差していた。木々の間を海風が吹き抜け、葉や草が擦れ合う音がする。

約束の夜明けまであと4時間、村人たちは森を発つ支度を終えると、各々が名残惜しむように塀の中を歩いた。


テルはミューに呼ばれ、診療所の二階にある空き部屋のソファーに腰掛けていた。
部屋には電気が通っていないのか灯りがなく、青い月明かりが窓から差し込んでいた。

テルと対面するように、机を挟んでミューが座っていた。
ミューはずっと黙っていたが、やがてゆっくりと口を開いた。

「まぁ……こういうことになっちまったから、明け方には全員森を出る。その後、あんたたちとは別れるけど……それまでに、あんたには話しておくことがある」

ミューはテルを真剣に見た。
入り口ではカーネルが扉にもたれかかっていた。

「よく聞きな、あんたの能力に関することだ」

テルは固唾を飲み、身を乗り出した。

「なにか知ってるのか……⁉︎」

「あんまり期待せんでくれ。知ってるといってもほんの少しだよ」

ミューは鬱陶しそうに手首を振った。

「そうだね……まずは能力の発動方法についてだけど、あんた以前に二回成功してるらしいね?自分なりに使い方が掴めてるのかい?」

テルは首を横に振った。

「いや、二回とも自分の意思とは無関係に発動した。ここへ来る前に意図的に使おうとしたけどダメだった」

「その二回に、何か共通点はなかったかい?状況や、感情の昂りや、なんだっていい」

テルは唸った。それに関しては以前同じことを考えた。

「発動したのは二回とも絶体絶命の時だ。覚えてるのは……ひたすら頭にきてたってことかな。敵に対して」

ミューは目を細めた。「なるほど」と何やら一人で納得する。

「いいかい?アトミック・ソルジャーが『覚醒』するには、二つの条件を満たす必要がある。一つ目は危機的状況に陥ること。二つ目は『鍵となる感情』を抱くこと」

ミューは一呼吸置いた。

「あんたの場合は『怒り』が鍵になってるようだね。おぉ〜ヤダヤダ」

テルは爪を噛んだ。能力の存在自体、未だに飲み込めていなかったが、ひとまず納得することにした。

「つまり、おれは危なくなったら怒ればいいのか。それである程度の危機は……」

ミューはキッとテルを睨んだ。

「能力を、ピンチの時に使える便利な奥の手みたいには考えないことだね。いくらアトミック・ソルジャーでも頭や心臓を撃ち抜かれたら即死だし、それに……」

ミューは視線を落とした。

「この力は使い過ぎると、あんたを蝕むよ」

テルはギクッとした。そんな気がしていないでもなかった。

「やっぱり何かしらの負荷があるのか?」

「それもあるけど、もっと問題なのは心の方さ。能力は使えば使うほど、体が慣れて容易に発動できるようになる。しかしその分、人としての心は失っていくよ」

部屋にしばしの沈黙が流れた。
ミューは気を取り直し、「まぁ未解明の部分が多いから、実際はどうなるか知らないけど」と付け加えた。いつもの不機嫌な顔に戻り、「話は以上だよ」とテルを追い立てる。カーネルはいつの間にやらいなくなっていた。
テルは部屋を出る際、かねてより聞きたかったことをミューに尋ねた。

「なぁドクター、あんた以前におれと会ったことあるか?」

「知らないね」

ミューはソファーに座り、背を向けたまま答えた。
テルは腑に落ちなかった。

「じゃあ、何でそんなに能力のことに詳しい?親父でさえ知ってたかどうか定かじゃないのに……」

ミューは小さくため息をついた。

「こっちにはこっちの事情があるんだよ。わかったら消えとくれ」


診療所の廊下は冷え冷えとしていた。
明朝の旅に向け、玄関には荷物が山積みされており、薬品の匂いが二階まで漂ってくる。
テルは階段に向かっていると、廊下の一角にハシゴが下されているのを見た。ハシゴは診療所の屋根の上に続いているようだった。

屋根の上には、古ぼけた丸テーブルと噛みタバコの吐き汁のような色のソファーが置かれているだけで、特に変わったものはない。
近くの巨大樹から、鳥の巣がひとつ乗っかった枝が伸びてきている。
エレンはしゃがみこみ、その巣をボーッと眺めていた。

「あ」

テルの存在に気付き、エレンはゆっくりと立ち上がった。「どうかした……?」と、いつもの快活な声でテルに微笑む。しかし、その声にはどこか生気が感じられなかった。
テルは無視して引き返すわけにもいかず、気まずそうに屋根に上がった。

「いや、何やってんだろと思って。こんなところで」

「うん。この景色も見納めかなーって」

エレンは村を一望した。ンーッと思い切り伸びをする。

「まさかこんな形で外に行くとはなぁ……楽しみだぁ」

口でそうは言っても、本心は違うことがテルにはわかった。

村は相変わらず静寂に包まれ、冷たい夜風が吹き抜けていた。
特に話題もなく、二人は点々とする村人を眺めた。

すると、遠くから無数の鳥たちが飛んできた。鳥たちは仲間に警告するように鳴きながら、どこかへ飛び去っていく。

その光景を見て、テルは何とも思わなかったが、エレンは何か不吉な兆候を感じ取っていた。

「あ……」

診療所に向かって、シリウスが駆けてきた。屋根の上にエレンを捉えると、ただならぬ様子で吠え猛る。
エレンは何事かと屋根を飛び降り、シリウスに駆け寄った。
気まずい沈黙が破られ、テルはひとまず安堵した。



一方、『聖域』の内部では、アイザックと10人の部下たちが、光学銃を片手に作戦を確認していた。

「最終確認だ。私と指定の五人は聖域に残り、作戦を執り行う。他の五人は村に戻り、待機している教徒たちに武器を渡す。よろしいか?」

10人の部下は共々うなずいた。そのうち五人は武器の入った袋を担いでいる。

アイザックは古い研究所の扉を開き、外に出た。
外は月光に照り輝く緑に溢れ、クリーチャーの血がより際立って見えた。聖域までの道中、極力戦闘は避けたものの、何度か立ちはだかるクリーチャーを倒さねばならなかった。

アイザックと10人の部下は、研究所の地下から持ってきたガスマスクを着けた。
5人は予定通り村に戻り、6人が残る。

しばらくして、アイザックは持っていたアタッシュケースを開いた。中には小さな画面と数字だけのキーボードが埋め込まれており、同梱の説明書を読みながら、アイザックはパスワードを打ち込んだ。
部下たちは周囲を警戒しながら、これからやることの正当性を求めるようにアイザックを見た。

「大丈夫だ。クリーチャーの殲滅はポシェト神の意思……多少のことは許してくださる」

アイザックはパスワードを打ち終えると、贖罪の詠唱を行った。詠唱を終えるとエンターキーに指を添える。
深呼吸し、呼吸が荒くなるのを抑えた。

(……思い知れ!)

アイザックは心の中で叫び、エンターキーを押した。

途端、ケースから白い瘴気が湧き上がった。

瘴気は瞬く間に広がり、聖域一帯を包み込む。

すると、鳥たちの鳴き声が消えた。周囲で賑わっていた夜鳥たちは沈黙し、揚力を失って地に墜ちる。やがて、完全な沈黙が訪れた。

「これで森のクリーチャーの4割は死滅する。後は他の教徒たちが、取りこぼしを片付けてくれれば……」

「キッサッマッラァアァァァァ!!」

アイザックが呟くと、どこからともなくけたたましい怒声が聞こえた。電子音にも似たその声の主は、アイザックたちにとって最も忌むべき存在だった。

「見ろ、動物なんて単純なものだ。エサを撒けばのこのこやってくる」

アイザックはせせら笑った。部下たちを散開させ、怒声のする方向に銃を向ける。

 

「警戒しろ。ヤツが見えたら一斉に撃て」

しかし、怒声の主はまだガスの効果範囲に入っていないのか、声が弱まる気配はない。それどころか、声は次第に大きくなる。
アイザックは不審に思った。声は着々と近づいてくる。

「おかしいな……ガスが効いて……–––––」

アイザックが呟いた時、背後の茂みからライカが飛び出してきた。
前方の声に気を取られていたアイザックたちは一瞬遅れ、ライカに懐への進入を許した。
ライカは無言で巨大な腕を振り回し、瞬く間にアイザックたちを殴り倒す。

数分後には、研究所の前に6人の男が倒れている状態だった。
アイザックはうつ伏せになり呻いた。取り落とした銃を握ろうとするが、ライカは持参した光学銃でアイザックの銃を粉々にした。
無言のまま茂みに入り、しばらくすると片手に小さな機械を持って戻ってくる。
それを見てアイザックたちは唖然とした。

「人間ナンテ単純なものダ。自分タチが最も賢い種族だと思っていル。そこにツケイル隙があるとも知らずニ」

ライカの手元の発声器が、錆びついた声で言った。ライカはそのまま鎧の決められたスペースにはめ込み、アイザックを見下ろす。

「交渉は決裂したと見ル。オマエたちの手で、オマエたちの子は死ヌのだ。ワシが戻ルまで、せいぜいそこデ苦しんでいろ。オマエたちは最後ダ」

ライカは言い捨て、再び茂みに入っていった。背後でアイザックが屈辱に満ちた声で呻いたが、ライカは無視して子どもたちが囚われている灯台島を目指す。

ライカの気配が完全に消えた頃、アイザックは痛む脇腹を抑えながら、苦笑した。

「すでに武器は村に届いているはずだ……お前が今更なにをしようが、教徒たちは止められん」

 



無数の鳥が樹上を飛び交い、森はただならぬ雰囲気だった。

アイザックの目論見どおり、森では70人ものアイザック派が、武器を片手にクリーチャーの殲滅を始めていた。
聖域から持ってきた光学銃の破壊力は目覚ましく、実弾や矢ではまるで歯が立たなかった大型クリーチャーを、いともたやすく殺傷する。
アイザック派は集団で獲物を仕留める古来のやり方で、着実にクリーチャーを減らしていった。

『聖域』での毒ガス散布により、森の大部分のクリーチャーが死滅したので、狩りは順調に進んでいた。それでも、四方八方から迫り来るクリーチャーに対応しきれず、すでに何人かが犠牲になっていた。

「あ……ある程度は片付いたか⁉︎」

ようやくクリーチャーの襲撃が止んだ頃、アイザックの腹心の男が息を切らしながら叫んだ。何人かが疲れのあまり腰を下ろす。
腹心の男は士気を保つため、一旦皆を休ませた。

ヒッピーウッズは広大で、毒ガスの効果範囲と今しがた駆逐し終えたエリアを合わせても、全体の半分にも満たなかった。
それでいて、すでに30人ほどが死亡し、狩りは困難になり始めていた。

 

「一度『聖域』に行って、武器を補充しよう……弾が心許ないし、より強力な武器が必––––––––」

突如、腹心の男が血を吐いた。男はよろめき、脇腹を鷲掴んで前のめりに倒れる。
一同は動揺した。一斉に立ち上がり、次の一波に備える。しかし、どこにもクリーチャーの姿はなかった。にも関わらず、一人また一人と地に膝をつく。見えない敵に怯え、何人かは逃げ出した。


 


一方、ライカは黙々と森を進んでいた。スラブヤンカの戦いでかなり無茶をしたからか、体が更に言うことを聞かなくなっていた。ガタがきた関節を軋ませ、ようやく沈んだ埠頭に着く。埠頭から灯台島まで一直線に伸びるモルスカヤ通りを走り抜け、ようやく島に着いた。

島は、森の喧騒とは無縁の静けさで、さざなみの音だけが聞こえる。
頂上に見える灯台のサーチライトは、森全域のクリーチャーに、危険を促す役割を買っていた。ライカはその灯台を目指したが、唐突に足が止まった。
向かう先の木陰に、誰かが立っている。

「どけ……今オマエに用はナイ」

ライカは警戒し、目の前に立ちはだかるエレンに銃口を向けた。



~To be continued~

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