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(story.18)人間の土地

暖かな感覚に包まれ、テルは目を覚ました。ほんの数日前までは当然のものだったこの感覚が、何年も前のものに感じる。

テルは羽毛布団を押し上げ、ゆっくりと起き上がった。長いこと眠っていたのか二度寝したような頭痛がする。額には新しい包帯が巻かれていたが、帝国兵にかせられた手錠は外れていなかった。

辺りを見回すと、そこは木造の壁に囲まれた部屋の中だった。ベッドが規則正しく並び、天井にはヘリのプロペラのようなシーリングファンが回っている。


「気がついたかい」

横から女の声がした。
テルがそちらを振り向くと、顔に畳まれたタオルが飛んできた。


「ほら、いつまでもそんなキッタナイ格好してないで、自分で体拭きな」

その白衣の女は、回転椅子を軋ませテルの方に向いた。妙にやつれた顔をし、束ねた長い髪を左肩に流している。女の前の机には、一台のパソコンと山積みされたカルテがあった。
しかしテルの目を引いたのは、その女の胸元だった。

「……なんだい?」

「いや、それ……」

テルは不機嫌な顔をする女の白衣を指差した。ジャラジャラと手錠の音がする。

 

白衣の胸ポケットには『星のマーク』が描かれていた。
それを見た時、テルの脳内に何かが引っかかった。記憶を手繰り寄せるように左手を額に当てる。

「あんた、どっかで……」

その時、部屋の扉がそっと開かれた。
恐る恐るメガネの少年が入ってくる。

「あ、あの……治療費の『対価』ってこれで、あっ……」

ジョージは、テルと目が合い立ち止まった。両手に分厚い本を何冊か抱えている。ジョージはバツが悪そうに目を泳がせた。

「ジョージ……!?何でここに……ってことはもしかして親父もいるのか?」

「ジョンならいるだろう。さっきからそこに」

白衣の女はテルの隣のベッドをアゴで差した。
そこにはカーネルが布団もかぶらず横になっていた。すっかり熟睡している。

「ずいぶんと寝てなかったみたいだねぇ。あんたのお守りでお疲れだったんでしょうよ」

白衣の女は嫌味ったらしく言った。
テルは女に細い目を向けた。

「ここはどこだ……?あんたは?」

「命の恩人に対する口の利き方がなってないね。あたしとエレンがいなきゃ、あんたは今頃砂漠で干物になってたってのに」

「エレン?」

テルが呟いた時、再び部屋の扉が開かれた。

少女が山吹色の髪を揺らして入ってくる。

「ミューさん、薬草摘んできたよ」

エレンは薬草を積んだバスケットを傍の棚に置くと、テルが起きていることに気づいた。

「あっ、起きたんだね」

テルとエレンの視線が交差した。

「はじめまし––––––」

エレンが言いかけた時だった。
突如、テルの頭に電流のような感覚が走った。
肩の力が抜け、脳内に見覚えのある夢の光景が逆流する。

〝やったぞ……今度こそ成功だ!〟

〝じきに冬が来る。長い長い冬が〟

〝早く!この子だけでも!!〟

その感覚は何百年という長い時間に思えたが、実際にはほんの一瞬のことだった。
やがて光景の逆流は終わり、脳内にガスを抜くような感覚が走るとともに、意識が現実に戻される。

「い"って……!?」

「いたッ……!」

意識が戻ると同時に、激しい頭痛がテルとエレンを襲った。二人とも頭を抑え、よろめく。

エレンが倒れかけた時、白衣の女は即座に椅子から飛び出しエレンを支えた。壁にもたれさせると棚からガラス瓶を取り出し、中の錠剤をエレンに飲ませる。すぐさま瓶を、テルをベッドに寝かせているカーネルに投げ渡した。
カーネルも瓶から錠剤を取り出し、テルに飲ませた。

「え?……え??」

ジョージは訳もわからず混乱していた。

しばらくすると、テルもエレンも落ち着きを取り戻し、荒かった呼吸が元に戻った。
カーネルは寝起きの悪さなど微塵も感じさせず、無理に起き上がろうとするテルを抑えた。
しかし、テルはその手を振り払った。

「大丈夫、大したことじゃない」

エレンも同様に、自分を制しようとするミューの手を払い立ち上がった。
テルは痛む頭を悩ませた。

(なんだったんだ今の……?夢?いつだか夢で見たような光景がフラッシュバックしたのか?それに……)

テルはエレンに目をやった。
エレンもテルを見ていた。


(おれは以前に……)

(わたしは前に、どこかでこの人と会ってる……?)

エレンは何とか記憶を手繰り寄せようとしたが、肝心なところを思い出そうとするたび、軽い頭痛に見舞われた。

「テル、この娘がイ……ぁ、いやエレンだ。倒れてたお前をここまで運んでくれた」

カーネルは言いかけた何かを訂正し、テルの肩を叩いた。
ミューが鋭い目でカーネルを睨んでいる。

「エレン……」

テルは復唱したが、何も思い出せなかった。
エレンは相変わらずテルを見つめている。

しばらく沈黙が続く。

奥のベッドで寝ているアンナの寝返りを打つ音だけが聞こえる中、テルは軽く脳天を叩かれた。顔を上げるとカーネルがいた。

「黙ってないでちゃんと『ありがとう』くらい言え。この娘がいなけりゃ、お前は死んでたかもしれんのだぞ」

テルは黒髪をさすりながら、恥ずかしそうにうつむいた。先ほどからエレンが遠慮もなく自分の目を見つめてくるので、直視しずらかった。

「………アリガト……」

エレンは小さく笑った。
アンナがクスクス笑っていたが、「病人は眠ってな!」とミューに一喝され大人しくなった。
テルは強引に話題を逸らした。

「それはそうと、ここはどこなんだ?」

ジョージとカーネルは目を見合わせた。二人もこの場所には来たばかりでよくわかっていなかった。
ミューはまるで嫌がらせのように黙っていたので、エレンが慌てて答えた。

「ここは『ヒッピーウッズ』って森の中にある診療所だよ」

「森……?」

テルは『地上伝説』の記述を思い出した。

「森ってたしか、木が沢山生えてて……」

「もう動けるんなら自分で確かめてきな」

ミューが口を挟んだ。

「エレン、テルたちに森の案内をしておやり。ちょうどいい運動になる。あたしゃ、ちょっとこいつと話がある」

ミューに睨まれ、カーネルは頬に汗を流した。
テルはベッドから起き上がり、足元の靴を履いて部屋を出た。エレンもそれに続く。


二人が去った後、ジョージは気まずそうにその場で萎縮した。

「あの……ボクもですか?」

ミューに「当たり前だ」と睨まれ、ジョージはそそくさと部屋を出た。廊下を小走りで渡り、玄関の戸を開ける。すると、目の前でテルが立ち尽くしていた。

「おぉ……」

テルは感嘆した。
ジョージも続いて上を見る。

目の前には鬱蒼とした森と、そこに溶け込む牧歌的な村があった。
天高くそびえる巨大樹の葉が濃い日差しを隠し、村に木漏れ日を落としている。
巨大樹の根元にはログハウスが点在し、樹の幹に建てられたツリーハウスにハシゴを伸ばしていた。
地表には草が生い茂っていたが、人に踏み慣らされた道は土がむき出しになっていた。
コンクリートの家も何軒か見えるが、いずれもツタが絡まって自然に埋もれている。

「これが森か……初めて見た。『地上伝説』にあった通りだ」



テルは呟いた。
診療所の屋根の古いアンテナに止まっていた小鳥が、鳴きながらどこかへ飛んで行った。

「おいでシリウス」

診療所の入り口にある木のブランコに寝そべっていた白狼は、エレンの声で目を覚ました。ゆっくり伸びをして芝生に降り立つ。

「シベリアはどこ?」

エレンは尋ねた。
シリウスはしばらくエレンを見つめ、村の門へ目をやった。

村はコンクリートの塀に囲まれ、何本かの巨大樹はその塀を突き破るようにして生えていた。診療所付近の塀には門が設けられ、塀の内側に朽ち果てた車が一台置かれている。車のホイールには縄が巻かれ、その縄は門にくくりつけられていた。

「じゃあ行こっか」

エレンは、一匹の白狼と同年代の男二人を連れて歩き出した。



診療室の窓際から、カーネルは村へ向かう子どもたちを見ていた。

「大きくなったな、イヴも」

カーネルは呟いた。
ミューはその一言で、キッとカーネルを睨んだ。苦虫を噛み潰したような顔で頬杖をつく。

「その呼び方はやめとくれ。たとえあの子の目の前じゃなくともね。今のあの子の名前はエレンだ」

ミューはフンと鼻息を荒げた。意地悪な目でカーネルを見る。

「なんならあたしも、テルのこと『Type.II』って呼ぼうか?」

カーネルは「よせ」と言い、コートの内ポケットをまさぐった。
ミューは立ち上がり、机に積まれたカルテの山から一枚取り上げた。

「それはそうと、あんたが寝てる間にその娘の診察終えといたよ。病室でタバコはやめな」

ミューはアンナが寝ているのを確認すると、小声でそう言った。カーネルにカルテを渡し、廊下へ連れ出す。

廊下に出ると、カーネルはカルテを斜め読みした。病名の欄を見て眉をひそめる。

「『白血病』……治せるのか?」

「治療法ならあるわ。ただ、ここの設備じゃ完治させるのは難しいわね」

ミューは深刻そうに言った。

「首都へ運べば助けられるかもしれないけど、あたしはここで安静にさせとくことを勧めるわ。手術には莫大な対価が要るからね、もしそれが整うようなら帝国へ運ぶの。まぁどっちにせよ……あんた達と旅を共にするのは難しそうね」

カーネルは下唇を噛んだ。

「手術できなかったらどうなる?」

ミューはしばらく壁を見つめたのち告げた。

「……死ぬわね。数週間で」


アンナは壁からそっと耳を離した。胸に手を当てると、かつてないほど心臓が高鳴っている。
呼吸が荒くなり、虚無感が全身を包んだ。次第に恐怖心が襲ってくる。

「くそ……クソッ!ヤブ医者だ!」

思わず頭を掻きむしった。すると、頭と両手に妙な感覚が走った。両手を頭から離し、目の前にかざす。栗色のパーマがかった髪が、何本も指に絡みついていた。

「…………ッ!」

廊下で足音がし、アンナは急いでベッドに潜り込んだ。


「死ぬって……ならここで安静にさせとく場合じゃないだろ」

「言ったでしょ、莫大な対価が要るって。悪いけどあたしゃ、患者の治療費までまかなってやるほどお人好しじゃないし資産もない。帝国もそれは同じだよ」

ミューは扉を開けた。
診療室は相変わらず換気扇とシーリングファンの音がするだけだ。

ミューはカーネルからカルテを取り上げ、机に戻した。その時ふと床に目をやり、部屋の一角に不自然なほど髪が落ちているのに気付く。
奥のベッドに目をやると、顔を出して寝ていたはずのアンナが布団にくるまっていた。
ミューはため息をつき、椅子に座った。



テルはエレンに連れられ、景色を見回しながら村を闊歩した。

頭上にそびえ立つ巨大樹。
ツタの巻き付いた木の柵。
農作物の載ったランタン付きリヤカー。
それを引く奇抜な格好の人々。

色々な珍しいものがテルの瞳に映った。
村はどこもかしこも騒々しく、大通りには農作物やら木材やらギターやら、様々な物を運ぶ人々が行き交っている。まるで、何か大きな催しが始まるかのようだ。

道行く村人は物珍しそうによそ者のテルたちを見たが、テルたちからしてみればヒッピーウッズの人々の方がよほど興味深かった。

村人は皆、揃いも揃って奇抜な格好をしていた。

白いシャツの上に茶色いベストを着た男。
ボロボロの絨毯を使い回したかのような服の女性。
マフラーらしきものを頭に巻き、ギター片手にサングラスをかけた若い集団。
目に映る全員が首か腰に木製のネックレスをかけていた。

「なぁ、何なんだここの連中の格好は?随分外とは雰囲気が違うんだが……」

 

テルはエレンに尋ねた。

「珍しい?ヒッピーってこういう格好するものなんだって」

「ヒッピー?」

「うん。ん〜……『伝統的な社会制度を否定して、個人の魂の解放を〜』云々。よくわかんないけど、そういう人たちのことを言うんだって」

テルの背後では、シリウスがジョージの服を咬んでじゃれついていた。
エレンは踵を返し、テルたちに振り向いた。

「わたしも詳しくは知らないから、ババ様に聞くといいよ。ほらここ」

エレンは目の前の柵で囲まれた広大な土地を指差した。
その土地はほとんどが畑で、ライ麦畑のずっと奥に、他の民家の三倍はあろう大きな館が建っていた。入り口の門には「ウッドストック農場」と書かれた看板が吊るされている。

「ババ様ーーいますかーー?」

エレンがライ麦畑に向かって叫んだ。
すると何人かの農夫が顔を出し、「長老婆は館の中だ」と告げた。農夫たちの昼食なのか、そこかしこにパンが積まれたカゴが置いてある。

「入っていいよ」とエレンが門をくぐり、テルとジョージを誘う。二人がそれに続くと、館の扉が開き、中から一人の老婆が出てきた。80歳近い老婆は、握っている杖を全く使わず、テルたちの元へ駆けよった。

「やぁやぁ、君がエレンが連れてきたって子だね?ヒッピーウッズへようこそ」

老婆は、見えてるのか見えてないのかわからない細目で、テルに微笑みかけた。今度はテルの背に隠れていたジョージに目をやる。

「そして君が……ランドクロスに乗ってきたうちの一人だね?………ゥン?」

老婆はジョージに歩み寄り、顔をぐいっと近づけた。あまりにも間近に迫るので、ジョージは思わず顔をそむけた。

「ホォ〜……君は東洋人だね。何でまたこんなところに?」

「あの、ちょっと込み入った事情があって………あ、言葉わかります?」

「わかるとも。『万能小型翻訳機(ピースメーカー)』じゃろ?わたしも付けとる」

老婆は萎れた左耳を見せた。耳栓大の翻訳機がしっかりとはまっている。

「砂漠にはね、帝国で貧困にあえいでいた者が、新天地を求めて流れてくることがある。この森はそういう連中を匿ってるんだよ。だから村人の3割はそういう、異国語を話す連中さ。翻訳機は必須だよ」

それを聞いてジョージは安心した。ヴラジでは、まともに会話できるのがカーネルと翻訳機を渡したテルくらいだった。この森では、久しぶりに人間と接することができると思った。

「じゃあ、この森以外の場所でも翻訳機を常備するのは普通なんですか?前にいたヴラジって街ではそうでもなかったんですが……」

「ヴラジ?……あぁ、カーネルって大きい人から聞いてるよ。マルセルに会ったそうだね?ほら、ヤギ髭のおじさん」

老婆はシワシワの手をアゴに当て、髭の手真似をした。

久々に人と気楽に話せて、ジョージは気持ちが昂った。テルもカーネルもどこか気難しいので気さくに話せないのだ。

「申し遅れたけど、わたしはこの村の長 ソフィア・スパスキーだよ。まぁ長老婆って呼んでおく–––––––––エレンッ!」

長老婆は声を張り上げ、何のために持っているのかわからない杖を、ライ麦畑の茂みに向かって槍のように投げた。

しばらくすると、エレンが杖を持って茂みから出てきた。長老婆の前で直立不動になる。

「……食べてませんよ?なんにも」

「まだ何にも聞いてないよ?今夜はたらふく食べられるんだ、それまで我慢なさい」

 

長老婆はため息をついた。


「夜になんかあるのか?婆さん」

長老婆はテルに目を向けた。険しく見開かれていた目が元の細さに戻る。

「まぁね。夜までのお楽しみさ」

長老婆の妙に優しい口調が、ジョージには怖かった。


テル、ジョージ、エレンの三人は、長老婆に連れられ館に入った。キッチンで料理をしているのか、館の中はやたらといい匂いがする。三人は二階のリビングに上がり、長老婆に促され中央の丸いテーブルを囲った。

「そういや、よくおれの居場所がわかったな」

長老婆が罰と称してエレンに紅茶を淹れさせている間、テルは出し抜けにジョージに聞いた。

「なんでこの森にいるってわかった?」

「あぁ、足跡を追ってきたんだよ。砂漠の」

「足跡?」

テルはハッとした。頬に汗を垂らし、親指の爪を噛む。

「そうか……全然気づかなかった。ヤバイな、もし帝国の連中が足跡に気づいて追ってきたら……ここも長居できない」

テルは立ち上がって、窓の外を見た。
村人たちが忙しく塀の中を動いている。至って平和な光景だ。

「大丈夫だよ。簡単には入ってこれないから」

エレンが盆に載った紅茶をテーブルに移しながら言った。
テルは眉をひそめた。

「どういうことだ?」

「この森はね、守られてるんだよ。守り神たちに」

長老婆がソファーに腰掛けながら言った。
ジョージがどういうことかと訊いた時、誰かが階段を駆け上がってくる音がした。
やがて部屋の戸が勢いよく開け放たれた。

「長老婆!大変です、お孫さんが!」

若い女が息を切らしながら部屋に飛び込んできた。
長老婆は立ち上がり、再び目を見開いた。

「ここで待ってるんだよ!」

エレンたちにそう告げると、長老婆は杖を握りしめて部屋を飛び出していった。
残された三人は、呆然と開け放たれた戸を見つめた。

「なんかあったのか?」

テルは窓に駆け寄り外の様子を見た。
ジョージとエレンがそれに続く。

しばらくしてテルとエレンは息を飲んだ。
ジョージは腹部に巻かれたバックから取り出した双眼鏡を眼鏡越しに覗いた。

村の門に人だかりができていた。誰かが担架に乗せられ、外から塀の中に運ばれてきている。
担架はすぐさま、ミューの診療所に担ぎ込まれた。
エレンはそれを見て小さく息を吐いた。

「この森は、人とクリーチャーが共存しているの」

テルとジョージは同時にエレンを見た。

「共存?そんなことできるのか?」

「……共存と言っても、互いが互いの土地に入らないようにしてるだけ。わたしたち人間の土地はこの塀の中。森の大部分はクリーチャーのものなの」

「じゃあ、あの運ばれてるやつは無断で外に出たのか?」

「狩人だと思う。塀の外に行ける人たち。でも当然、森でクリーチャーに会えば襲われるから大人しかなれない。森の外から簡単に人が入れないのはこれが理由」

テルはアゴを擦った。

「森はクリーチャーの巣窟ってわけか……だとしたらエレンはなんで砂漠にいた?どうやって森を抜けた?」

「シベリアやシリウスと一緒にいれば襲われないの。だからクリーチャーも凶暴なのばかりじゃなくて、中には人とわかりあえる者がいるの」

「『者』じゃなくてバケモノだろ。出会い頭に襲ってくるだろ連中は」

エレンが咎めるような目でテルを見た。

「テル、あの人たちと同じこと言うんだね」

柔和だったエレンの声のトーンが急に下がり、テルはばつの悪そうな顔をした。

「……あの人たち?」

エレンはジッと診療所の方を見つめていた。しばらくして、そっと口を開く。

「エデン教会のアイザック派」



診療所はてんてこ舞いだった。
ミューは野次馬を診療室から締め出すと、すぐさま長老婆の孫の治療に移った。

「あぁもう……昨日といい今日といい何人運ばれてくるんだか」

ぶつくさ言いながら患者の服のボタンを手際よく外し、胸をはだけさせる。筋肉質な脇腹に三本の爪痕が入っていた。血がドクドクと溢れ出す。

棚から消毒薬と包帯を取り出していると、部屋の戸が勢いよく開かれた。
首に木のネックレスをかけた男が入ってくる。

「ドクター!ウチの息子は!?」

「治療中だアイザック!出ていきな!!」

ミューのキツい物言いを無視し、アイザック・スパスキーは息子に歩み寄った。

「クソ……!こんなことだからさっさと殲滅しようと言うのに……義母様は自分の娘の時のように孫が死んでもいいというのか!」

「馬鹿なこと言ってないで、そこどきな」

ミューはアイザックを突き飛ばし、治療を始めた。
アイザックは不服そうにミューを睨んだ。

「馬鹿なこと?エレンが襲われれば、あなたもそんなことは言えないはずだ。過保護な親が……」

「この森はクリーチャーによって守られてるんだよ。でなけりゃ今頃、帝国あたりがテクノロジー目的に『聖域』にでも踏み込んでるはずさ……ったく、こんな平和ボケした婿養子もらって長老婆もさぞ嘆かわしかろうに」

ミューの悪態に、アイザックは目を細めた。

「……御託はいいから早く私の息子を治してくれ。それがあなたの仕事だろう?でなけりゃ、エレンもろとも砂漠に放り出されてしまうぞ」

「あんたにそんな権限ないだろ?村の全権は長老婆にある」

「あなたはここに篭ってるから知らないかもしれないが……教会は日に日に大きくなっている。その牧師という立場からも、長老一族の婿という立場からも、次期長老が誰かは明白なはずだが?」

腕を組むアイザックに、ミューはため息をついた。

「ミーシャが生きてたらどう思ったことか」

アイザックはその一言に目を細めた。踵を返し、診察室を後にする。

「とにかく私の息子を頼んだぞ。今夜の『収穫祭』には間に合わせてくれ。ピョートルには大事な仕事が待ってるんだ」


アイザックが去った後、部屋には長老婆の孫 ピョートルの呻き声がするだけだった。
消毒薬が傷口にしみるが、何とか歯を食いしばって耐えている。

「き……今日、初めて狩りに行ったんだ。生まれて初めて森を走った」

ピョートルは痛みを噛み殺して言った。

「やっとエレンと同じになれた……俺もクリーチャーに好かれる人間なら、もっと早く森に出らたんだけどな。へへ……」

「あの子は無断で出てるんだよ?襲われないからいいものの、言っても聞かないんだよ」

「あなたはなんだかんだいい親だ。普通のことだ、子どもの身を案ずるのは。俺も……できればエレンに無茶してほしくない」

「いい親……?」

ミューはひとりごちた。

治療中の手が止まる。


〝なんで森から出ちゃいけないの?〟


幼い日のエレンが脳裏に浮かんだ。その後、エレンの頬をぶった自分の姿も。

クリーチャーにえぐられた若い狩人の脇腹を見て、ミューはアイザックのことを思った。

(奴よりも、あたしの方がよほど親として嘆かわしいのかもね)

ミューは治療を再開した。

今夜は収穫祭、その年の豊作を占う年内最大の行事が始まろうとしていた。



~To be continued~

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