【新世紀黙示録】
(story.17)陽光
「酔った小熊亭」に緊張が走った。
くつろいでいた兵士たちは立ち上がって腰の拳銃に手をやり、カウンターの亭主はさりげなく護身具の詰まった棚を開く。
鎧は膝の関節を軋ませながら、ゆっくりと店内に踏み込んできた。全身にかかったオイルが木の床に染みる。
「オ……イル」
鎧は擦り切れたような声で呟きながら、カウンターへと歩を進めた。
「いや……ですからウチは整備屋じゃありませんよライカの旦那。オイルならドロホフの店でお願いします」
亭主が忠告すると、鎧は停止した。
亭主は内心、胸をなでおろした。
「オイル……全然足りヌ……」
「旦那、この死に損ないは?」
ただ一人、ボックス席に座って悠長に構えていた兵士が亭主に尋ねた。
亭主はパーマのかかった髪をくしゃくしゃと掻いた。
「そちらは、この町の近くに住んでらっしゃるライカの旦那です。もっとも、どこに住んでらっしゃるかはワタクシどもも存じませんが……時々オイルをお求めにこの町へ来られるんです」
ライカと呼ばれた鎧は、身体中の錆びた鉄を軋ませていた。
ボックス席に座っている兵は、コーヒーカップを持ったまま忠告した。
「ライカとやら、そういう事だ。オイルが欲しいなら整備屋へ行きな。せっかくの憩いの場にそんな格好で入るもんじゃないぞ」
「……整備屋のオイルは在庫切レしてイた。ここには食品用の油があるはズだ。それデ構わん、ワシにくれ」
ライカはお構いなしに歩を進めた。
数人の兵士が拳銃を引き抜き、座っている兵とライカの間に割って入る。
「下がれ!怪しいヤツ!」
「今引き下がれば見逃してやらんこともないぞ!」
兵士たちが口々に叫んだ。
しかしライカは全く意に介さずカウンターを目指す。
店にいた労働者たちは不穏な空気を察し、こっそりと出口へ向かった。
「ちょっと待て」
座っている兵が鋭い声で言った。
忍び足で出口へ向かっていた労働者たちはギョッとした。まだ亭主に代金を払っていないことを思い出したフリをして、カバンやポケットを漁る。
兵はコーヒーカップを置き、帽子のツバで影が差した瞳をライカに向けた。
「貴様、先ほど整備屋のオイルは売り切れていたと言ったな?なら貴様が今、全身にかぶっているモノは何だ?どこで手に入れた?」
察しのいい兵士たちの目つきが変わった。事に気付いた兵士たちはライカを取り囲むように店内に散開する。
「ステファン伍長、外の様子を見てこい」
座っている兵士は部下に命令すると、ゆっくりと立ち上がった。190センチはあろうその兵士は、ポケットに手を突っ込みながらライカに歩み寄る。
「オマエたちは“まだ”オイルを持っているのか……?そうデあればワシに譲るのだ」
二人はしばらく向き合っていた。
すると、先ほど外に出た兵士が、顔面蒼白になって戻ってきた。息を切らし、店の出口で立ち止まる。長身の兵士の視線に気づいたその兵士は、ぶんぶん首を横に振った。
長身の兵士は深くため息をつき、ライカを睨んだ。
「随分でかいな……私より背の高いやつは珍しいぞ?何センチだ?」
「オイル、持ってイるのかイないのか?オマエに聞いていル」
ライカは長身の兵士を見据えた。被っている兜のわずかな隙間から白い目が覗いていた。
すると、長身の兵士は小さく笑った。
「もちろんあるが……人にものを頼む時の態度じゃないな。まず私の名は『お前』ではなく、ヴォストーク方面軍第二航空部隊部隊長 グレゴリー・チカロフ––––––––」
「知らン。あルならよこすんダ」
ライカの物言いに、チカロフは軽い憤りを覚えた。小さく苦笑し、あくまでも平静を装う。
「態度がなっとらんと言ったろう。第一人にものを頼む時くらい、そんなものかぶっとらんと相手に顔を見せ–––––––」
チカロフがライカの兜に手を伸ばし、その顔を拝もうとした時だった。
ライカの強烈なアッパーパンチが、チカロフのみぞおちに直撃した。
そのままチカロフは打ち上げられ、数秒間宙を舞い、元いたボックス席へと落ちた。
置いてあったコップが倒れ、まだ半分ほど残っていたコーヒーが床に飛び散る。
チカロフはぐったりとその場に倒れ込んだ。
周囲の兵たちは突然の出来事に唖然としたが、すぐさま臨戦態勢に入る。
「き……貴様!自分が今何をしたか……」
「人間はワシらを殺すことヲためらっタりしないダろう。それト同じことダ」
ライカは兜が外れたりズレたりしていないか確認しながら、自分に銃を向ける兵たちを見渡した。
「ワシも人間を殺すことヲためらったりしなイ。戦うというのなら好都合」
「何をわけのわからんことを……」
兵士たちはじわりじわりとライカに歩み寄った。亭主や労働者たちを店から退避させる。
テルは、四人の監視兵に引っ張られ店を出た。扉をくぐる際、店内に立ち尽くす鉄の塊にちらりと目をやる。
(誰だか知らんが助かった。逃げ出すチャンスだ!)
「早く走れ!!」
テルにかせられた手錠の紐を兵士の一人が引っ張った。すぐさま店から離れる。
すると背後で銃声が鳴り響いた。
テルは四人の監視兵たちに即され、5機のヘリが停めてある広場へと走った。
その広場に着いた時、広場の一角にある整備屋を見て、兵士の一人が舌打ちした。
整備屋の店先には、下っ端の兵士たち5、6人分の死体が転がっていた。いずれも外的損傷は見当たらず、流血もしていないことから、先ほどの長身の兵士と同様に格闘によって内臓を破壊されたことが伺えた。
死体の周りには、大量の燃料タンクが転がっていた。いずれも蓋が開けっぱなしで、カラになっている。
「クソッ!何でよりによってこんな時に……もし予定通り司令のとこまで送れなかったらタダじゃ済まねぇ!」
テルの手錠の紐を掴む兵士が嘆いた。
「だからさっさと買うもん買って帰るべきだったんだよ!悠長に喫茶店なんかに入るから、あの部隊長!」
「今ごちゃごちゃ言っても仕方ない……とにかくこのガキを安全な場所にやって、戦闘が終わるのを待つのが吉だ」
そう言って兵士の一人が、錯乱している兵士からテルの手錠の紐を引き取った。そのまま、どこか身を隠せそうな場所へ移動を始める。
しかし、テルはその場から動かなかった。
兵士は紐をぐいぐい引っ張りながら、テルを睨めつけた。他の兵士が拳銃を引き抜く。
「おい、撃たれたいのか?」
「そういうあんたらこそ、撃てるのか?」
テルはその場に踏ん張りながら、ニッと引きつった笑みを浮かべた。
拳銃を構える兵士たちの表情が硬くなる。
テルには考えがあった。
「まぁでも、逃げ出さないよう片脚くらいは撃っといてもいいじゃないのか?要はおれを、生きた状態でお偉方の所まで運ぶのが目的なんだろ?おれは今、どうやってお前らを撒くかで頭が一杯だぜ?」
テルは「能力」の発動時にとある共通点があることに気づいていた。「能力」は二回とも、テルが危機的状況に陥った際に発動していた。
さらに付け加えるなら、その決定的起因は、敵の攻撃による外的損傷だった。
イワーノフに足を撃たれた時、ストロガノフに頭を割れるほど壁に打ち付けられた時。
テル自身にも能力の詳細はわからなかったが、おそらく自分に命の危険が迫ると自動的に発動する、リミッター解除機能のようなものではないかと考えていた。
(さっきと違ってこの人数なら、能力さえ使えればまだ勝機がある。酒場の戦いがどうなるかはわからんが、万が一こいつらの仲間が勝ったら今度こそ逃げ道がなくなる)
そして何より、そろそろテルの体力が尽きはじめていた。地下で戦って以来立て続けに戦闘が続き、まだしっかりとした休息をとれていなかった。そのせいか、テルは先ほどから軽い頭痛とめまいに襲われていた。やたらと全身から汗が噴き出す。体力が残っているうちに逃げ出さなければならなかった。
「……お前マゾか何かか?」
兵士の一人が顔を引きつらせた。
テルは眉間を押さえ、引き続き敵の発砲を誘発する。
チェンに「アトミック・ソルジャーを傷物にするな」と釘を打たれている以上、彼らが自分に致命傷を与えることはできないとテルは理解していた。できてもせいぜい、銃やナイフで皮膚をかすめて脅す程度だと。
しかし、外傷を与えるという意味では、それで十分だった。
紐を握っている兵士が動いた。空いている方の手で腰の拳銃を引き抜き、テルに銃口を向ける。照準はテルの左耳を捉えていた。
「ち……ちょっと待って下さい隊長!万が一やつが『覚醒』したら……」
嘆いていた兵士が、紐を握る兵士に小声で囁いた。
しかし隊長は眉ひとつ動かさず、引き金に指を添える。
「安心しろ。こいつは今、能力を使えない」
「……どういうことでしょうか?」
「こういうことだ」
隊長は躊躇なく引き金を引いた。
銃声と共にテルの右耳がわずかに欠け、傷口から血が噴き出す。
「『アトミック・ソルジャー』……だっけか?そういった人間の研究は、本国では多少なりとも進んでいるそうだ。まぁ肝心の実物が見つからず、研究は資料漁りの日々で難航してるようだが」
隊長は悠々と語った。
テルは額に汗を流した。傷つけられても能力は発動しなかった。意識は途絶えることなくはっきりとしている。先ほどと何も変わっていない。
「だが、今回のことで貴様が見つかった。俺は貴様の監視を命じられるにあたり、その少ない研究結果の一部を公開されている。よって貴様の能力も、それを使った魂胆もお見通しだ。妙なことは考えないことだな」
テルは歯ぎしりした。手錠をかけられた今、能力が使えないのではこの場を切り抜ける術はない。
なす術もなく立ちつくすテルに、隊長が歩み寄る。
「来い『アトミック・ソルジャー』。そう警戒するな、帝国というのはそんなに悪い場所じゃないぞ」
隊長は後ずさりするテルに手を差し伸べた。
その時、隊長たちの後方で爆発が起きた。
兵士たちは一斉に背後を振り返る。
爆発が起きたのは「酔った小熊亭」だった。酒場の入り口が火を噴き、小熊のシルエットがあしらわれた扉が宙を舞っている。
テルはその一瞬の隙を突き、目の前の隊長にタックルした。押し倒された隊長に背を向け、すぐさま近くの建物と建物の隙間へと飛び込む。
一瞬遅れて気づいた兵士たちが発砲するが、テルはすでに建物の間を走り抜けていた。
足元に散乱する魚の骨や鉄屑に足をすくわれながらも、テルはなんとか踏みとどまり走り続けた。
息を切らしながら建物の間を飛び出すと、裏路地に出た。
二階建ての建物同士が狭い道路を挟んで向かい合い、二階から反対側の建物に紐を伸ばして洗濯物を干している。しかし、太陽が長いこと雲に隠れているせいか全く乾いていない。
頭上から滴る汚水に打たれながら、テルは逃げた。背後からは兵士たちが血眼で追ってきている。建物と建物の間に入り込める隙間を見つけると、テルはすぐさま飛び込んで向こう側の路地に出た。そのまま町を縫うように走り、兵士たちを撒く。
「クソッ、どこ行った!?」
しばらくして、兵士の一人が吐き出すように言った。大通りに立ち、息を切らしながら銃を握りしめている。周りには数人の仲間がいた。
「逃したら俺たちはお終いだ……!多少傷つけてでも連れ戻せ!!」
隊長は兵士たちに追いつくなり叫んだ。
兵士たちは言わずもがなと四方へ散った。
そこから少し離れた所に、朽ちた大木があった。その大木の下に生える枯れ草に身を隠しながら、テルは息を整えていた。兵士たちが町へ四散するのを見届けると、そっと中腰になり町から離れる。
しばらく歩くとテルは立ち止まった。息を切らし、背後を振り返る。
はるか後方にミニチュア大のスラブヤンカの町が見えた。
ある地点から次第に枯れ草が消えはじめ、足元は荒地から砂漠に変わっていた。
(ここまで来れば……大丈夫だ)
テルは黄色い砂に足を取られながらも走り出した。万が一ヘリを使って上空から探索されたらどうしようもなかった。それまでに、少しでも距離を稼いで町から離れる必要があった。
幸いなことに空は雲に覆われ、太陽を隠していた。ゆえに日差しに体力を奪われることはなかったが、それでもテルの体力は限界を迎えていた。何度か砂に足をすくわれ、前のめりに倒れた。口に入った砂を吐き出し、かせられた手錠を憎々しげに睨みながら立ち上がる。
そんなことを繰り返しながら、テルは南へ向かった。
その頃、荒地を疾走していたランドクロスは、前方に古びたテントを見つけ停止した。
カーネルは操縦室から降りテントへ歩み寄る。
朽ちた木の下に張られたテントの周辺には、煙を吹く焚き火の跡や、切り株に立てかけたギター、真新しい足跡があった。
「もし?どなたかいらっしゃるか?」
カーネルは右手をダスターコートの内ポケットに突っ込んだまま、テントに話しかけた。
しばらくするとテントの入り口が開き、珍妙な格好の老人が顔を出した。老人は頭にマフラーのようなものを巻き、赤い薄着の上に白い毛皮のベストを着て、擦り切れたジーンズを履いていた。腰には木のネックレスを巻いている。左手にはしっかりと拳銃が握られていた。ぎょろぎょろした目で、警戒するようにカーネルを見る。
「……なんじゃい?」
「我々は今、スラブヤンカという町を探しています。この近くのはずなんですが、ご存知ないですか?」
カーネルは老人に地図を見せた。
すると老人は地図には目もくれず、値踏みするような目でカーネルを見た。
「旅商人か?今スラブヤンカに近づくのはやめといた方がいいぞ。今しがた『文明の産物』が……あーすまん、帝国のヘリが町に飛んでいったからな」
「ヘリ……?どの方角へ?」
「どこも何も……」
老人はテントから出て、朽ちた木の側まで歩いた。木は岩肌の上に立っていて、目の前には相変わらず乾いた荒地が続いていた。そのずっと遠くの方に、ぽつんと町が見える。老人はそこを指差した。
「あれがスラブヤンカだ。見ろ、煙が上がっとろう。何かロクでもないことがあったんじゃろうな」
目を凝らすと町から黒煙が上がっていた。
「テルが何かやらかしたのか……?」
カーネルは老人に感謝し、すぐさまランドクロスに飛び乗った。アクセルを踏み、近くの坂を下ってスラブヤンカへと急ぐ。
老人は、蒸気機関車のように煙を吐くランドクロスをどこか忌々しい目で見ていた。
「なんだ……こりゃあ」
ランドクロスが町へ着いた時、レフの放った第一声がそれだった。
他の者も同様に目を丸くする。
「う"……ォェ……」
生まれて初めてみる惨状に、ジョージは吐き気を催した。踵を返してランドクロスに戻ろうとするが、カーネルが襟を掴んでそれを止めた。
「ねぇーっ!ちょっと何で出してくんないのさぁーっ!?」
「もう車の中あきたーー!!」
車内でゴランとイリーナが抗議していたが、フランク夫妻がなんとか入り口を塞いでいた。
ランドクロスには計四人の大人が乗っていた。
カーネルことジョン・アーウィング、レフ・フリードマン、そしてアステリア・フランクとリディア・フランクだ。
「構わん、出してやれ」
カーネルはフランク夫妻に言った。
「どうせ今後とも見ることになるんだ。今のうちに慣れさせよう」
カーネルたちは、町の広場の前に立っていた。広場の一角では、町人に担架で運ばれてきた死体が山積みにされ、燃やされるのを待っている。担架係は運んできた死体を適当に山へ放り投げると、そそくさと煙を吹いている酒場に駆けて行った。
ゴランはそれを見るなり泣きながらランドクロスへと飛び込んだ。イリーナはショックのあまり言葉が出ないのか、真っ白な瞳で眼前の光景を眺めている。左手はしっかりとフランク婦人のズボンを掴んでいた。
レフは目を細めた。
「一体何が……」
「ライカが町に来たんだよ」
すぐ側の「ドロホフ整備店」と書かれた建物の店先から、禿げた中年の男が呟いた。
男は足元に転がる死んだ店員を蹴飛ばし、散乱している燃料タンクを拾い上げる。
「ライカ?」
カーネルは男に尋ねた。
男は慣れた手つきで空のタンクを店内に放り投げた。
「たまに町に現れる泥棒だよ。こそこそ裏口から入るんじゃなく、正面からやって来て堂々と商品かっさらう豪快なお方さ……ったく、たまに現れてはウチのもん持ち去りやがって。そのたびに店員殺すしよ。こりゃまた無知な放浪者雇ってレジ番にしなきゃなぁ?」
禿げた男は愚痴り半分に答え、禿げ頭をカーネルに向けたまま、ぶつくさと呟く。
「あんたら旅商人かい?悪いこと言わないから今この町をウロつかない方がいいよ。大事な奴隷が逃げたってんで、帝国の連中が血眼になって探してるからね。なぜか俺たち町人まで駆り出されるしよ……ったく、とんだとばっちりだ」
「奴隷?」
カーネルの目の色が変わった。
男は相変わらずカーネルには目もくれず、店先に散らばったタンクと死体を片付けている。
「帝国の連中が言うには、紺色のコートを着た10代のガキだそうだ」
「まだ見つかってないのか?」
「あぁ。連中、隠れる場所が多いってんで北の荒地に逃げたと踏んで探してるみたいだが、見つからんそうだ」
カーネルは、ジョージたちをランドクロスに搭乗するよう促し、自分もそれに続いた。
すると、背後から禿げた男が呼びかけた。
「あんたらも逃げた奴隷を探してんのか?」
「あぁ、そうだ」
「なら、特別にいいこと教えてやる」
男はカーネルに駆け寄り、耳打ちした。
「あんたらがどこを探すかは勝手だが、この町から南に行くのだけはやめといた方がいい。気味の悪い噂が後を絶たん」
カーネルは眉をひそめた。
「噂?」
「そうだ。例えばな……人が消えるんだ。昔、この砂漠を渡った先には何があるのかと探検に出たやつらがいたが、全員帰らなかったな。30人はいたんだぜ?それ以外にも、たびたび通りかかった旅人が消えたりしてる。ある者は『森を見た』なんて言ってたな。何があるのかわからん場所さ」
男はおどろおどろしく語った。
カーネルは男に微笑んだ。
「そうか、ありがとう教えてくれて。見かけによらず優しいんだな」
「……?お代は要るよ?さっさとオイルか同等の情報出しな。この際オリーブオイルでも構わん」
「……」
カーネルはなんとか男をなだめすかし、ランドクロスに乗った。操縦室のドアを開けた時、遠くから帝国兵たちがやって来るのを見た。顔を見られないようそそくさと町を後にする。
ランドクロスは南の砂漠へ向かった。キャタピラの走破性は凄まじく、柔らかい砂の大地をたやすく走る。
レフはジョージから防砂ゴーグルを借り、操縦室から車上にあがって広大な砂の大地を見渡した。
しばらくすると、ゴランが操縦室に入ってきてカーネルに告げた。
「足跡!窓の外に足跡みたいなのがある!」
「アタシが見つけたんだけど……」
イリーナがやってきて鋭い目で言った。
カーネルはブレーキを踏み、砂の大地へと降りた。確かに砂漠には引きずったような足跡があり、南の方へと伸びている。
「間違いないテルだ。南へ行ったのか……」
テルは息も絶え絶えに、足を引きずって砂漠を進んでいた。途中で何度も止まろうとしたが、下手に止まると余計体力を奪われると思い疲れることに慣れることにした。それでもめまいと頭痛は酷くなる一方で、足元の歩きづらさも相まって、テルの体力は限界を超えはじめていた。
そして再び砂に足をすくわれ、テルは倒れ込んだ。もはや口に含んだ砂を吐き出す気力もなく、砂漠に顔をうずめる。
空には相変わらず雲が浮かんでおり、陽の光を隠す。長時間そんな状態が続いたせいか、テルは砂漠にいながらどこか肌寒いという奇妙な感覚にとらわれていた。しかしその寒さが、体温の低下による寒さではないとテルにはわかっていた。
(このまま砂漠で一人死ぬのか……?)
そんなことを考えながら、口に含んだ砂を噛んだ。
すると、テルの体に濃い影が差した。
雲の影ではない、テルのすぐ目の前にいるものの影だ。
影の主は唸りながら、テルの周りをぐるぐる回っている。
テルは体勢を変えず、影の正体を目で追った。
(クリーチャー……?こんなところに?)
一匹の白狼が唸りながらテルを見下ろしていた。
テルは疲れのあまり幻覚でも見ているのかと思ったが、白狼のよだれが耳に垂れ、現実であると悟った。
狼は牙を剥き出しにしている。
テルは半ば死を覚悟した。
「シベリア、だめ」
白狼がテルの頭に噛みつこうとした時、遠くから声がした。どこか懐かしい声だった。
白狼はたちまち顔を上げる。
太陽が雲から顔を出し、地表に光が降り注いだ。
テルは最後の力を振り絞り、うつ伏せの体勢から仰向けになる。
すると、テルの元へ足音が近づいてきた。雲の動きと暖かな光で次第に眠くなり、テルはそっと目を閉じた。
意識が途切れる寸前、テルは枕元に山吹色の髪の少女が立っているのを確かに見た。
~To be continued~