【新世紀黙示録】
(story.12)権力の奴隷
〝2195年1月7日 朝 空の下
5日ぶりの太陽がまぶしい。目がチクチクする。でも、サングラスを持ってればよかったとは思わない。開放感のせいか、こんな刺激も心地よく感じる。
戦いが終わってから何時間くらい経っただろうか。少し前に日の出があった。
戦いは意外とすんなり終わった。
すぐに市長側が敗けを認めたからだ。
ドームが破られ、空があらわになった時の市民たちの剣幕といったらすごかった。
市民たちのほとんどはドームの中で生まれ育ったので、空を見るのは初めてだったそうだ。
それでも彼らにとっては、空を舞う鳥を見た喜びより、自分たちを騙し続けてきた市長への怒りの方が大きかったようだ。
降参した市長たちは手錠をはめられ、酒場の前につながれている。地下牢ではなくあえて空の下に置いたのは、嫌味のつもりらしい。
第二、第三身分と地下の民(富裕層は除く)は日の出まで宴を楽しんだ。勝利の余韻は心地いいものだったけど、楽しいことばかりではなかった。結果的に全員が無事だったわけじゃない。傷を負った人たちはいる。そしてそのうち一人は……〟
「ジョージ、ちょっと来てくれ」
背後からカーネルが呼びかけた。
ジョージは日記をリュックサックにしまい、「今行きます」と立ち上がった。
周囲では疲れた市民たちが焚き火を囲んで談笑していた。街の上を飛んでいた鳥を撃ち落として焼き鳥にしている者もいる。
何人かが、一人だけ違う言語を話すジョージを奇異の目で見ていた。海外に出たらこんな感じだろうなとジョージは覚悟していたし、5日もこんな状態なので、いい加減視線には慣れ始めていた。
(それにしても……『翻訳機』を貸しているテルはともかく、カーネルさんが俺と話せるのはどういうことなんだ?)
ジョージは前々から不思議に思っていた。
初めて会った時からそうだった。知らない言語を話す者たちに囲まれ、不安だらけの状態で街まで連れてこられたジョージに、突然母国語で話しかけてきたのはカーネルだった。
ジョージの言葉がわからず困惑していた憲兵たちは、押しつけるようにジョージの身柄をカーネルに引き渡した。
(……なんでこの人は、母国の言葉を知ってるんだろうか)
カーネルの背中の『星のマーク』を追いながら、ジョージは思った。
「ジョージ、なぜわざと外した?」
唐突にカーネルが問いかけた。
ジョージはギクッと肩を震わせた。何を聞かれているのか察しがついたが「……外した?」ととぼけたフリをする。
「お前のウデなら市長を一撃でしとめられたはずだ。だからお前にあの役を頼んだ。なぜ、わざと左腕を狙った?」
ジョージは視線を逸らした。
なぜ自分の特技をカーネルが知っているのか、色々と思うことはあったがひとまず「ごめんなさい」と謝った。
するとカーネルは、ジョージの頭にポンと手を置いた。
「お前の育ちを考えれば、多分人を撃つなんてことは初めてだっただろう。戸惑うのはわかる。だがここは海外だ。敵だとわかるものに情けをかけるな。今後こういうことはなしだぞ、いいな?」
カーネルはそう言うと、ジョージから手を離し再び歩み始めた。
[四時間前]
「待てコラ!ボーズ!逃がすな!!」
酒場の店主がテルに叫んだ。
テルは逃亡するストロガノフを追っていた。
数分前、四方を市民たちに囲まれたストロガノフとその従属たちは、市民たちの剣幕に戦意を削がれ敗走した。しかし、街の北部にて地鳴りのような雄叫びをあげ追随してくる市民たちに追いつかれ、やむなく逃げるのを諦めた。だが、ストロガノフだけは追いつかれる前に道を塞ぐよう憲兵たちに命じ、逃げおおせていた。
憲兵たちはその命令に機械的に反応してしまい、背後の市民たちに銃を向けた。
「どけ!今お前たちに用はない!」
酒場の店主が叫んだ。
憲兵たちも戦う意思などなかった。しかし、長年の習慣でストロガノフに逆らうことに抵抗を感じ、形式だけでも銃を構えるのだった。
ストロガノフは息を切らして街を疾走した。
月明かりが頬から噴き出した汗を照らす。
斜め後ろの建物上では、テルが屋根伝いにストロガノフを追っていた。
(クソッ……見くびった!)
ストロガノフは左手の路地に逃げ込んだ。
テルも建物から飛び降り路地へと入る。そしてすぐに足を止めた。
ストロガノフが壁を前に立ち往生していた。路地は行き止まりだった。
「捉えたぞ」
テルはアサルトライフルを構えた。
ストロガノフはそっと背後を振り返った。
「お前の敗けだ、降参しろ!」
するとストロガノフは突然笑い出し、拍手を始めた。
テルは訝しげな目を向ける。
「お見事。君たちの勝ちだ」
ストロガノフは負傷した左腕を気遣い、右手をスーツの中に入れた。
「だが忘れないことだ。君のお父さんが助けに来なければ形勢は変わらなかったことを。親の力で勝てたということを」
「……負け惜しみか?」
テルは目を鋭くした。
ストロガノフはテルに背を向けた。
「君はよくやったが、今回は僕のような小物が相手だったから何とかなっただけだ。君の実力は外の世界じゃ通用しない。そして君は……」
ストロガノフは何やら手元を漁った。
「そんな僕にさえ、一人では勝てない」
「!」
ストロガノフは懐から拳銃を取り出し、瞬時にテルに狙いを定めた。
テルはすんでのところで反応し、路地を飛び出して死角に入る。
頬に熱を感じた。手を伸ばすと、擦り傷に触れた指が赤く染まっていた。
「戦うな!ここでおれを倒したって、親父たちに囲まれるのがオチだ!」
テルは壁に張り付き、ライフルの引き金に指をかけた。
「街の秩序が乱れた時点で僕はどの道終わりなんだ!最後くらい、市長としての仕事をまっとうするさ」
ストロガノフは拳銃を構え、隠れた反乱分子へと歩み寄った。
テルは銃口を路地へ向け、当てずっぽうに乱射した。
ストロガノフは路地に置かれていた鉄のゴミ箱の裏に逃げ込んだ。
ゴミ箱に当たった銃弾が跳弾する。
「フゥ……フゥ……」
テルは聴覚を研ぎ澄ませ、ストロガノフが動くのを待った。次の一斉射に備え、空になったライフルの弾倉を取り外す。
「ア"ァッ……!?」
突然テルは脇腹を撃たれ、その場に膝をついた。
息を切らしながら背後を見ると、ストロガノフの右腕 憲兵隊長が煙を吹く拳銃を握っている。
「こ……これでいいんですよね市長?これで……」
憲兵隊長は主人に尋ねた。
ストロガノフは左腕を庇いながらテルに歩み寄った。そして、思い切りテルの顔面を蹴飛ばす。
テルは壁に頭を打ち付け呻いた。
「言ったでしょう……?まずは……権力を掴むことだと……」
ストロガノフは息を切らし、テルの黒髪を強引に掴み上げた。
テルは眉間にシワを寄せた。
互いの視線が衝突する。
「市長ッ!後ろです!!」
憲兵隊長が警告した。
ストロガノフは即座に反応し被弾を免れた。
「クソ!」
屋根の上で、金歯の男がライフルを構えていた。
ストロガノフは憲兵隊長に敵を牽制させながら、テルを引っ張って路地に入っていった。
金歯の男の背後からジョージが駆けてきた。他にも数人の援軍がやってくる。
ジョージはホフク状態で狙撃銃のスコープを覗いたが、既に標的は路地の死角に入り込んでいた。
「よく聞け!この子どもの命が惜しければ、大人しく我々だけでも見逃すんだ!」
反乱を止めるのは不可能と判断し、ストロガノフは妥協案を提示した。
自分たち二人を見逃して街から出すこと。それと引き換えにテルの身柄を引き渡すこと。
ジョージたちは顔を見合わせた。
「聞くな!!」
テルは意を決して叫んだ。
「何人か死傷者が出てる!そうじゃなくとも、街中の人たちが50年もここに閉じ込められたんだ!それだけのことをやったこいつらを無傷で逃がすな!」
「こいつ……ッ!」
ストロガノフは思い切りテルの顔を殴った。テルは呻きながらも叫んだ。
「元よりおれが言い出した決起だ!おれに構うな!!」
「黙れ‼︎」
ストロガノフはテルの負傷した脇腹を殴りつけ、右手で口を塞いだ。そのままテルの頭を気絶するまで壁に打ち付ける。
(屈するか!こんなやつらに!!)
消えゆく意識の中、テルは心の底で叫んだ。
(おれは自由になるんだ!こんなところで……死ねるかッ‼︎)
「あ"がッ!?」
ストロガノフの掌に痛みが走った。
掴んでいたテルの頭を地面に叩きつけ、数歩飛びのいて掌を確認する。
指の肉が噛みちぎられ、血が滴っていた。
テルは赤く染まった瞳でストロガノフを見据えた。血の混じったツバを吐き出し、右足でストロガノフの横顔を蹴り飛ばす。
「……!?」
スコープを覗いていたジョージは目を丸くした。誰が最初に突入するか決めあぐねていた者たちも路地に目をやる。
暗い路地の奥に、赤く光る二つの点があった。
その点の先でストロガノフが腰をついて怯えている。
「これは……一体」
金歯の男は心底驚愕していた。
テルがストロガノフに飛びかかった。
そのまま躊躇なくストロガノフの顔面を殴る。
先ほどまでのテルとは違う。妙にがたいがよくなり、その表情には一切の情が感じられなかった。
テルが再び拳を振り上げた時、戦意損失したストロガノフは叫んだ。
「やめてくれッ!!!」
しかし、「やめろ」と叫んだのはストロガノフだけではなかった。
ジョージは背後からの大声に驚いて振り返った。
そこにはカーネルがいた。カーネルは屋根から飛び降り、路地へと足を踏み入れる。
「お"や……じ」
テルは辛うじて保たれた意識の中、呟いた。
ストロガノフはひとまず胸をなでおろした。
カーネルはコートの中から愛用の拳銃を取り出した。
弾倉を外し、なぜかポケットから別の弾倉を取り出して入れ替える。そしてそのまま、銃口をストロガノフに向けた。
「ま……待て、わかった……降参だ」
だから殺さないでくれとストロガノフが懇願するが、カーネルは躊躇なく引き金を引いた。
発砲音と共にストロガノフが「ぐッ!」と呻き声を上げる。が、身体には一切の痛みを感じなかった。
代わりにストロガノフに覆い被さるようにしていたテルが、ふらふらと倒れこんだ。振り上げていた腕に麻酔針のようなものが刺さっている。
「まだ殺すな。市長には色々と聞きたいことがある」
テルは消えゆく意識の中、そんなカーネルの声を聞いたのだった。
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テルはハッと目を覚ました。
ズキズキする頭を抑え、上半身だけ起き上がる。
周囲にはベッドが並んでいた。地下牢で見かけた奴隷二人、それにアンナが近くのベッドで横たわっている。
開けっ放しの棚に入っていたであろう医療品が、そこかしこに散乱していた。
テルは診療所にいるようだった。
「あ、目が覚めましたか」
横から声がした。
汚れた白衣を着た医者らしき人物が外を眺めている。
時計を見ると、時刻は午前6時を回っていた。
「おれは……何を……」
テルは何があったか思い出そうとしたが、頭痛が酷くなるのでやめた。なんだか前にも同じような経験をした気がした。
「……アンナたちは大丈夫なのか?」
「銃創の応急処置は済ませました。弾は貫通していましたから問題ありません。ただ……」
医者は言葉を濁した。
すると診療所のドアが開き、ジョージとカーネルが入ってきた。
「連れてきたぞ」
カーネルは医者を見るなり言った。
医者はジョージを瞳に捉えると、「あぁ君か君か」と待ちくたびれた様に言った。
「話は聞きました。君は医療の国の出身だそうだね?」
「え……?」
唐突な質問にジョージは頭をもたげ、自信なさげに答えた。
「いや、あの……今はどうか知らないですけど……」
ジョージの言葉をカーネルが翻訳した。
「なら、彼女の病気が何かわかりますか?」
ジョージはアンナに視線を向けた。
アンナの顔が真っ赤に火照っていた。とてもしんどそうだ。呼吸は荒く、鼻血の跡も見受けられる。なぜか全身にアザができていた。
「先ほどは吐き気を催されていました。めまいがするとも言っていましたね。明らかに被弾による症状ではありません」
医者は背を向けたまま言った。相変わらず窓から空を見ている。
外では、子どもたちが日差しを浴びながら駆け回っていた。
「わかりますか?」
医者は再度聞いた。
ジョージは首を横に振った。
「すみません。自分は医療に精通してませんので……お医者さんはわからないんです?」
医者はうなずいた。何だかそわそわしている。
「万策尽きましたね。僕は外科医ですので、それもちょっと知識をかじっただけの。内科のことはわかりません」
すると医者は、顔色を伺うようにカーネルの顔を見た。
「僕がやれることは全てやりましたので、そろそろ出かけさせていただきます。もしかしたらまだ、外に怪我人がいるかもしれませんから」
医者はそう言って、医療品も持たず太陽の下に出向こうとした。
扉を蹴破るように、ゴランとイリーナが診療所に飛び込んできた。イリーナの頭にはラビがとまっている。
医者は蹴り開けられたドアに足の指をぶつけ、悶絶した。
「テルにいちゃん!今から外へ冒険しに行くから、入口まで来いって!」
「酒場のおじさんが呼んでこいって」
ゴランとイリーナが叫んだ。
すると、二人の背後に一人の男が現れた。
「コラお前ら、ここがどこだかわかってるのか?」
金歯の男は歯をキラリと輝かせ、二人の頭をパンと叩いた。
自分が攻撃されたと思ったラビが反撃に出るが、男に両脚を掴まれ逆さ吊りにされた。
「冒険に行くって、今からか?」
テルが尋ねた。
金歯の男は顔を上げた。
「冒険というより街の周辺調査を兼ねた探索だ。具合悪いならやめとくか、少年?」
テルは腕に刺さっていた輸血針を抜き取り、ベッドから降りた。
一瞬ふらついたが「大丈夫だ」と言い、手を伸ばしたジョージを止める。撃たれた脇腹をちらりと見るが、イワーノフグラードの戦いの後と同様、銃創は塞がっていた。
「行ってきなよ」
アンナがそっと口を開いた。
全員がそちらを振り向く。
アンナはゆっくりと身を起こした。
「大丈夫、急所は外してるから死にゃあしない。それに自分で受けた傷なんだから、テルのせいじゃないよ」
アンナは薄く目を開き、ゆっくりと話した。
「あんたには何があったか知らないけど、どーせその調子じゃ大した怪我じゃないんでしょ?今度こそ自由になったんだから、外へ行きなよ」
テルが診療所を出ると、そこには人だかりができていた。
隣の酒場にストロガノフとその従属たち、それに地下の富裕層が繋がれており、奴隷と市民たちに囲まれている。
「言え!お前は知っておったのだろう?外の世界のことを!なぜ半世紀もワシらを街に閉じ込めた⁉︎」
ヤギ髭の老人がストロガノフに叫んだ。
ストロガノフの白いスーツは投げられた泥で黒ずんでいた。
テルは人だかりに混じり、酒場の店主に歩み寄った。
「どうした?探索に行くんじゃないのか?」
「それがな、親父がその前に気になることがあるって……」
酒場の店主はヤギ髭の老人を顎で指した。
老人の横でアンドレイが「もういいじゃん」と祖父を止めていた。
「お前だって馬鹿ではなかろうストロガノフ。ワシらを街に閉じ込めたのには、何か理由があるはずだ」
老人が目を細めて威圧したが、ストロガノフはそっぽを向いた。
老人は再び、杖でストロガノフの顔をぶった。
ひびの入った丸メガネが地面に落ちる。
「ワシも7年前、こうして外の世界について知っとることを調べられたな」
老人は吐き捨てるように言った。
ストロガノフはペッと血の混じった唾を吐き出した。そして、人だかりに混じるテルの存在に気づく。
「……テル」
ストロガノフは憎悪に満ちた目をテルに向けた。老人の言葉を無視し、テルに問いかける。
「気分はどうですテルくん?いい天気ですね」
皮肉るストロガノフを、ヤギ髭の老人が睨んだ。周りを囲う野次馬たちも。
ストロガノフはクスクスと笑った。
「いいですか皆さん?確かに今回はあなた方の勝ちです。しかし、根本的なことは何も変わっていない。支配する者とされる者が入れ替わっただけです」
「少なくともお前のような過ちは繰り返さん」
酒場の店主が言った。
「ドームの天井はもうない。これから俺たちは、ここに自由と平等の街を築く!」
「それができたら苦労はしない……!」
ストロガノフは悲痛に呻いた。肩をぶるぶると震わせる。
「あなた方は何も知らないから、そんな夢みたいなことが言えるんだ。……遅かれ早かれ、あなた方も現実を知りますよ」
よくわからないことを呟くストロガノフに、全員があわれむような目を向けた。
ストロガノフは憎き支配者であったが、こうして泥だらけになり、力も尊厳も奪われてくしゃくしゃになっているのを見ると、もう仕打ちは十分なのではと思えた。
「もう行こう」
酒場の店主は言った。
人々が去っていく中、ストロガノフは煮え切らない思いでいた。壊れたように肩を震わせ、酒場の壁にもたれ込み、目を閉じる。
「……フフッ……終わりだ」
ストロガノフは呟いた。
すると、どこからか足音が近づいてきた。
足音の主は酒場の前で止まり、ストロガノフの名を呼ぶ。
ストロガノフはその声に嫌悪感を覚え、鋭い目を開いた。
目の前でカーネルがタバコの吸い殻をケースにしまい、ストロガノフを見下ろしていた。
~To be continued~