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20世紀初頭のアメリカに僕は生まれた。
幼い頃から鉄道が好きで、故郷の田園風景を走るサンタ・フェ・パシフィック鉄道の列車の音を聞くのが日々の楽しみだった。
他に好きなことと言えば絵を描くことで、僕のスケッチは近所の人たちにたびたび売れた。それが嬉しくて、僕は来るべき会社設立のため
、来る日も来る日も絵を描いた。

「おぉいモーティマー、出てこいよ」

その日も僕は、自室の片隅で鉛筆片手に被写体と向き合っていた。幼い日の僕は目の前に置かれたハムスターのケージに話しかけた。しかし、ペットのモーティマーは恥ずかしがっているのかハムスター小屋に引きこもっている。僕がケージを揺らしていると、部屋の扉が開いた。

「また描いてるの?」

幼なじみのリリアンが入ってきて、仁王立ちしながら頬を膨らませた。

「もう、そればっかり」

「動くものを描くと絵の練習になるんだ。夢のためさ」

「……そんなに描いて何になるのさ?」

いつまで経っても小屋から出てこないモーティマーに呆れ、僕は仕方なく鉛筆を置いた。

「映画を作るんだ」

そう言うと、リリアンは目を細め首をかしげた。

「映画って……カメラで撮るんでしょ?絵なんか描けても仕方ないじゃん」

「違うよ。そういうんじゃなくて……簡単に言うとマンガの絵を動かすの」

「ふーん。変なの」

リリアンは僕の隣に腰を下ろし、鉛筆と紙を奪った。「何するんだ」と僕が尋ねると、リリアンはケージをつついてモーティマーを呼び出した。

「私が会社に入れば、その映画、一番最初に見られるんでしょ?」

リリアンは不機嫌な小声で言った。すると、間を保つようにモーティマーが小屋から顔を出した。


〜20年後〜

その映画館は笑いと興奮に包まれていた。スクリーンではウサギのキャラクター『オズワルド』が、列車に乗って飛んだり跳ねたりしている。
子どもたちの笑いが響く中、僕は館内の一歩引いた場所で満足気にその光景を眺めていた。たった6分たらずの映画でここまで人を幸福にできるとは、監督冥利に尽きると思った。

「大人気ね、『オズワルド』」

リリアンはぼそりと呟いた。
僕は仕事と結婚三周年旅行を兼ね、リリアンと共にニューヨークを訪れていた。戦争が始まる前のことで、当時はまだアニメに市民権はなかったが、客入りは上々だった。

「こんなに人気あるのに、なんでユニバーサルは制作費上げてくれないのかしら」

「その為の交渉に来たんだろ?そろそろ行こう。面会時間が迫ってる」

「あら、私は結婚三周年記念の旅行のつもりで来たんですけどね」

リリアンは不機嫌に頬を膨らませ、どこかへ立ち去っていった。


僕は一旦リリアンと別れ、配給先のユニバーサル・ピクチャーズ社を訪れた。大都会でも一際目立つ巨大なビルは壮観だったが、気負いはしなかった。僕はもう人気監督の仲間入りを果たしたのだ。

思えば僕たちの会社は兄とたった二人で設立するところから始まった。小さな会社の少ない資金と人材でなんとかやりくりし、その中で可能な限り質のいい作品を生み出し、ようやくユニバーサルという配給先を得た。
その際、自社キャラクターとして生み出した『オズワルド』は瞬く間に人気を博し、今日までに26本もの作品が作られている。にも関わらず、配給先から払われる制作費はいつまで経っても上がらなかった。

(制作費が上がればもっと上質な作品が作れる。会社で待ってる兄さんたちの為にもここは……)

僕は息を巻き、肩で風を切って巨大なビルへと入っていった。

受付で指示された部屋の前に立ち、深呼吸した。どう取り繕ってもやはり緊張する。すると背後から肩を叩かれた。

「やぁやぁ久しぶりだね。元気だったかい?」

振り向くと、そこにはチャールズ・ミンツ氏が立っていた。ミンツ氏は僕と同じ映画製作者で、ユニバーサル社に僕を紹介してくれた恩人だった。そして、今日の契約交渉の仲介人である。

「そう気負うな!君はもう立派なアニメーターだ!堂々としてればいい」

ミンツ氏は白い歯を見せ言った。

「監督ですよ。アニメーターじゃなくて」

氏に背中を押され、僕は部屋へと入った。それと同時に、外では雨雲が現れ、雷鳴が鳴り始めていた。


数時間後、僕は傘もささずに雨の街を歩いていた。道行く人々の目も気にせず、妻と約束した場所へ向かう。

噴水のある広場に着いた。
リリアンは僕の姿を目にとめるや否や買ってきたオズワルド人形を取り落とし、目を丸くして僕に駆け寄った。

「ちょっとどうしたのよ⁉︎交渉に失敗したの?」

それだけならまだよかった。

「何があったの?」

「……奪われた」

「なに?」

「『オズワルド』を奪われた。ミンツにやられた!」

話はこうだった。
僕は『オズワルド』シリーズのヒットを引き合いに、ユニバーサル社に制作費の値上げを申し出た。ヒット作の質が上がればより多くの客入りが見込める。配給先にとっても悪い話じゃない。交渉は成功すると思っていた。
しかし、ユニバーサル社は「『オズワルド』は当社とミンツ氏の管理下にあり、御社が好きにできるものではない」と述べた。

「それで?どうなったの?」

更にユニバーサル社は「今以上に制作費を下げなければ、御社の従業員を引き抜く」と付け加えた。
そこでミンツ氏は待っていたと言わんばかりに「会社経営は諦めて我が社の傘下に入らないか」と提案してきた。氏による明確な吸収工作だった。

「それで、ミンツさんの提案には乗ったの?」

「いや断った。予算は少なくとも、版権を取られようとも、『オズワルド』は僕らの会社にしか作れない。今以上のものを作って、氏と配給先を見返してやる」

僕はそう決意し、予約していたホテルに向かった。リリアンは僕の背中を追い、傘をさしてくれた。

「そうね。昔からの夢でしたものね」

僕は鼻息を荒くし、再起を誓って水たまりだらけの道を闊歩した。
僕たちが去った広場には、雨音の中、濡れたオズワルド人形がいつまでも取り残されていた。


ロサンゼルスへの帰りの列車で、僕とリリアンは再起への策をあれこれ練った。予算不足による質の低下は覚悟しなければならなかったが、『オズワルド』には既に多くのファンが付いている。簡単に人気が落ちるはずはなかった。
シルバーレーク地区にあるブラウンストーンの小さな建物に辿りつき、僕は深呼吸した。交渉に失敗したどころか、会社を危機に追い込んでしまった負い目があった。

「帰ったよ!」

扉を開けると、建物の中が妙に薄暗かった。僕は首をかしげた。不可思議だったのは、妙に閑散としており、人っ子ひとりいないことだ。ニューヨークへ出かける前の賑やかな小さな町工場のイメージとはだいぶかけ離れていた。

不思議に思い、一階の制作室に向かった。
そして僕は愕然とした。
そこにいたのは、僕の椅子に座ってうなだれる兄とその助手二人、更に親友のアイワークスの四人だけで、それ以外の従業員たちは皆、音沙汰もなく消えていた。

「何があったんだ⁉︎」

僕は素っ頓狂な声を上げた。これでは制作どころではない。
すると兄が力なく答えた。

「よぉ兄弟、帰ったか。見ての通りだ」

「兄さん、一体なにが……」

「ミンツだよ。してやられた」

兄いわく、ミンツが引き抜き工作を仕掛けたとのことだった。ウチの従業員によりよい環境と給料を提示して雇ってしまったのだ。それを断ったのは兄さんをはじめとする四人だけだった。

「でも……僕は向こうで『今以上に制作費を下げなければ、御社の従業員を引き抜く』と言われた。実際にその話は飲んだ。なのにどうして……」

「兄弟よ、お前交渉の時、ミンツに自分の傘下に入らないかと持ちかけられたろ?つまりそういうことだ。ミンツはどっちにせよ、ウチの従業員を引き込むつもりだったのさ。お前に断られればこんな形でね」

後で知ったことだが、ミンツ氏は前々から自分の会社を大きくしたいと思っており、僕の会社に目をつけたようだ。契約交渉より以前に僕の従業員たちに声をかけ、どちらにせよ従業員たちを引き抜くつもりでいた。

〝そう気負うな!君はもう立派なアニメーターだ!〟

ミンツ氏は僕を映画監督ではなく、その下で働くアニメーターとして目をつけていたのである。
僕たちが生き残るにはミンツ氏の下で働くしかなかった。しかし僕は、どうしても氏の提案に乗ることができなかった。その結果、会社を更に追い込んでしまった。

「悪い話ならまだあるぞ」

アイワークスが不機嫌に言った。

「ユニバーサルが、俺たちにはもう制作能力が残されていないと判断して『オズワルド』の制作を禁じた」

僕は言葉を失った。

「『オズワルド』を……禁止?」

『オズワルド』はいわば、戦友のような存在だった。僕らの会社を大きくした立役者であり、兄さんやアイワークスと何度も案を練り直して生み出したのだ。それが失われたのは、当時の僕にとって大変なショックだった。手塩にかけたキャラクターは自分の身体の一部だとさえ思っていた。


半年経っても僕はそのショックから抜け出せなかった。
『オズワルド』シリーズは夏までに四本制作することが契約上残っていたのでそれまでは続けたが、既に自分たちのキャラクターだとは思えなくなっていた。今後『オズワルド』はユニバーサル社が直々に手がけていくことが決定しており、強力な味方が一転して敵になったような気分だった。

最後の『オズワルド』を仕上げた夜、僕はボロボロのアパートで、酒を飲みながらスケッチブックに絵を描いていた。
会社を再興するには新たな自社キャラクターの存在が不可欠だという結論に至り、明日、各自が新しいデザイン案を持ち込むという話になったのだ。しかし描けども描けども、どれもマトモなデザインとは思えなかった。オズワルドを失ったことが尾を引き、当時の僕は何をやっても上手くいった気になれなかったのだ。
僕は途方に暮れて窓の外を眺めた。雲に隠れた月の下に、向かいの建物の窓の灯りが輝いている。

「お疲れ様。どう?」

リリアンがコーヒーを持って部屋に入ってきた。僕はありがたくコーヒーを頂戴し、ちびちびとすすった。そして思ったより熱く、舌が焼けてしまった。昔から猫舌なのだ。

「そんなに描いて、何やってるの?」

「新しいキャラクターのデザインだよ」

「へぇ〜、ちょっと見せて」

リリアンは会社の実状をあまり知らなかった。数年前に子どもが生まれてからは専業主婦になったのだ。だから僕の仕事に口出ししてくることはほとんどなかった。ひょっとすると僕が嫌がると知ってて、あえて何も言わなかったのかもしれない。
しかし、この時だけはいつもと違っていた。スケッチブックをパラパラとめくる手が突然止まり、一枚の絵を見つめている。

「これ……いいんじゃない?」

リリアンは静かに言った。
それは、一匹のネズミのキャラクターだった。
アパート内をよくうろついているネズミから着想を得たキャラクターだったが、他の雑多なデザイン案の中のひとつでしかないと思っていた。

「なんて名前なの?」

リリアンが聞いた。
僕はコーヒーをすすり、ふと昔飼っていたネズミのことを思い出した。あの頃は全てが自由で、なんの束縛もなく気ままに絵を描けていた。本来汚いとされるネズミにさえ愛着が湧いて、家族のように接することができた。

「……モーティマー」

「やっぱり」

リリアンはにっこりと笑った。そして唐突に僕の耳元で聞いた。

「明日の会議、私も出席していい?」

僕は口をへの字に曲げた。一応「なぜだ?」と問う。リリアンは懐かしむように絵を眺め、言った。

「だって会議で採用されれば、この子が動くとこ一番最初に見られるんでしょ?」


後日、僕は妻を連れて閑散とした会社へ向かった。会議室には既に皆が揃っていた。

「悪くない」

アイワークスは口髭をいじりながら呟いた。兄とその助手たちも同様の意見だった。

「しかし『モーティマー』か。……もう少し子どもが覚えやすい名前がいいな」

「同感だ。他に案はないか?」

兄とアイワークスが言った。僕がいまだヒリヒリする舌を噛みながら考えていると、リリアンが間を置かずに手を挙げた。
モーティマーは飼い主の僕よりもリリアンに懐いていた。リリアンもそんなモーティマーのことを気に入っていて、どうせ名前が変わるなら、自分の手で決めたいという思いがあったのだろう。

「それなら、『ミッキーマウス』というのはどうですか?」

兄はアイワークスは顔を見合わせた。

「まぁ確かに、モーティマーよりは覚えやすいし、可愛らしいが……」

「ですよね?可愛いですよね?」

「一応他にも案を……」

「可愛いですよね?」

兄は押し込まれ、椅子の背もたれにもたれかかった。ため息をひとつつき、腹を決めて机を叩く。

「よし、『ミッキーマウス』でいこう!何か異論のあるやつはいるか?」

誰も手を挙げなかった。皆、満足気な顔をしていた。

「まぁ、それなら問題はない」

アイワークスは鼻を鳴らし言った。他の者たちも概ね同感だったが、僕にはひとつだけ気がかりな点があった。「ちょっといいかい?」と立ち上がる。

「この名前でいくことには賛成だけど、この『ミッキーマウス』には徹底した版権管理体制を敷こうと思う。もう『オズワルド』の二の舞にはならない」

「その通りだ」

アイワークスは悔しげに言った。
僕は円卓に身を乗り出した。

「オズワルドは今や、完全にユニバーサルの手中にある。けどあれは僕たちのキャラクターだ。他社に無理やり引き込まれて苦しんでるだろう。だから僕らのミッキーで、オズワルドに引導を渡してやるんだ」

兄とアイワークスが同時に円卓に乗り出した。それに助手二人とリリアンも乗じる。

この日、僕たちは新たな仲間を得、ユニバーサルとミンツ氏へのリベンジを誓ったのだった。1928年、夏のことだった。


その後、従業員全員の尽力により会社は息を吹き返し、ミッキーは1928年から1932年にかけて大人気のキャラクターに成長した。
ユニバーサルの手がけた『オズワルド』は、皮肉にも僕 ウォルト・ディズニーとその仲間たちが作り上げた『ミッキーマウス』に逆襲を受ける形となり、次第にその姿を消した。
僕はしてやったりと思う反面、どこかオズワルドに対して申し訳ない気持ちになっていた。

彼が僕らの元へ帰ってくるのは、ずっと先の2006年のことだった。




THE END

 

 

 

『オズワルドの後継者』

Oswald's successor

Y  presents

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